カントは、我々の世界の認識について、それまでの観念論と経験論は、正しいところもあるが、間違っているところもあるとして、両者の統一を試みた。
 すなわち、人間の悟性には生得的な「時間」と「空間」の「直感の形式」によって物事を認識するものである。
 その認識の素材は経験によって得られるものであるが、我々の認識は、その材料として与えられるものに、我々自身の概念を付け加えるから、客観的にみれば、それは変化しているはずである。更に、それはアプりオリに人間に備わっている「直感の形式」によるものであるから、時間性を離れた本当の性質すなわち「物自体」は我々には分からない。
 だから、我々の認識は、単なる現象の認識であって「物自体」を認識するものではないこと、第二に、経験のみの認識の範囲あであって、無声役的なものではないこと、第三に、経験という限界を踏み越えようとすれば、それは「定立」も「非定立」も同様に証明できるということになってしまう。つまり分からないということになるのである。これは理性の越権である。
 だから、「神の存在」や「魂の不死」という問題については、これを証明することも、把握することも出来ない。因果関係を掴むという理論理性の範囲外だからである。
 カントはこのように、彼の認識論では、人間の認識の限界を超えるものとして処理している。