ロックの哲学と神
明確な経験論の立場に立つロックはデカルトやスピノザを批判して、「神」「実体」「永遠」などと言っているのは、理性の空回りであり戯れだと切って捨てている。
ロックは、まず、われわれの心は生まれながらにそれを携えて生まれてくるのだという「生得観念」を否定した。そんなものがあれば、時代や民族を超えて普遍妥当性を持つ道徳律があるはずだが、そんなものはないし、子供でも白痴でも同じ原理の観念を持っているはずだが、そんなことはあり得ないからだ。悟性は、初めは空虚な暗室みたいなもので、何も書かれていない白紙なのだ。
悟性が観念を持つのは感覚による経験が源である。感覚の中に存在しないものは意識になかにも存在しない。経験された事実とつながらない観念はすべて誤りである。
感覚は外からの印象を受けとるだけでなく、それを考えたり、理由付けたり、信じたり、疑ったりする。つまり感覚で受け取った
ものを加工する。これが「反省」である。
この感覚と反省が悟性に観念を与えることになる。単純な感覚が積み重なったものが「複合観念」である。「複合観念」は、様相(空間、時間)、実体、関係の観念に還元される。
そして、「神」の観念は人間の理性から生まれたものである。
ここまでは大変合理的だが、この「神」の観念はおかしい。「感覚のなかに存在しないものは意識のなかに存在しない。経験された事実とつながらない観念はすべて誤りである」と明快に述べた彼の説とは矛盾する。この考えに立てば「神」は否定されなければならないはずである。ロックはキリスト教会に遠慮して譲歩したのではないだろうか。この点は問題だが、極めて現実的、経験的、実証的な哲学を展開したロックの功績は大きい。
村上新八
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