「われ思う故にわれあり(コギト)」という言葉で有名なデカルトだが、彼がそう発想した時代的背景を知る必要がある。
 コペルニクスが、地球の自転、公転を前提とする太陽中心の宇宙体系モデルを提唱し、地球中心説を否定する天動説を公にしたのが1543年であった。これはバイブルの誤謬を指摘するもので、同時代人であるデカルトも魂消たに違いあるまい。
 そこで、デカルトは存在概念のすべてを疑う心境になったのだ。すべてを否定し誤りと考えるころから出発すべきだと考えたのであろう。しかし、すべてを疑わしいと考えている自分の「思惟」だけは確実な存在と考えてよい、と思い至ったのだ。
 こういうように、人間は認識に誤りが多く、確実性に欠けているといことは事実としても、それは絶対に確実なものがない、といことにはならない。神こそが直感的に確実な完全なもの、無限のものであることを意味しているのに違いない、と考えたのだ。
 その神が二つの実態である「精神-思惟するもの-」と「延長」すなわち「物体」を作った(二元論)。そして神は人間を「精神」と「物体」すなわち身体を備えた存在とした。それは別個のものだが、それをつなぎ、相互作用を可能にしたのが脳の中の松果腺だが、そのために精神は身体の要求に精神がかき回されないように主導権をとらねばならない。
 このように、「分からないもの」一切を「確かなものを掴んでいるにぢかない」として神に押し付け、神に万能性を付与して人間の創造主の地位を与えたのがデカルト哲学である。
 村上新八