日本のサラリ−マンは「仕事が生き甲斐」という人が多い。団塊の世代といわれる194
5年から1948年生まれの人たちも同じである。その団塊の世代がここ1-3年の間に大量に定年退職を迎える。彼らは仕事がなくなり、「生き甲斐」を奪われることになる。
 彼らの経験、キャリヤ−が活かせるような定年後の仕事が見つかればよいが、そう簡単にはゆかない。
 ショ−ペンハウエルは、「貧困」「退屈」と「病苦」が人生の大敵だと言ったが、貧困、病苦はともかく、「退屈」という敵は仕事を取り上げられた定年退職者に平等に襲ってくるの大敵である。
 これに対処すへく、趣味への没頭、ボランティア活動、地域社会貢献などさまざまな対応項目が考えられてはいる。が、「でも」「しか」でやっても、時間つぶし、暇つぶし、退屈しのぎをいやいややるだけである。それは定年後の時間の退屈な消化作用に過ぎず、生き甲斐とは程遠い。
 生き甲斐を定義すれば、「自分が生きていることの価値を自覚的、能動的に認識できる精神状態になれる」ということだと思う。
 自覚的に、というのは、自主的、自立的ということで、他から言われて、その気になってということではないという意味である。また、能動的というのは、自分から進んでそれを選択する、という意味である。
 そのような生き甲斐を自覚しうる行為は
他からの評価とは無関係であるし、それ自体の客観的な価値の有無とも無関係である。自分が生きているからこそそれをやれるのだと喜びを感じられるもの、生きている限りやるつもりにならせてもらえるものならなんでも良いのである。ゴルフ三昧であろうと、ものを書くことであろうと、読書であろうと何でも良いのである。それが本当の生き甲斐である。
 それを見つけられるかどうかは、個人の能力と感性の問題である。
 村上新八