> #クロスポスト先はfj.sci.langだけのほうがよいのでしょうが
> #あまりにも閑散としているようなので、関連の2グループを
> #つけさせていただきました。

どうもです。おにりんです。
クロスは、当面、進化論ってことで、bio でいいでしょう。
> 
> フォローアップ先はfj.sci.bioとします。
はい。

>  音声の随意化はかなり先行していたと推定される根拠は、現存
>  霊長類の中に例があるということですね。

いえ、例はありません。逆に、随意的に音声を出すことができる
動物は、脊椎動物では、4系統くらいしかないのです。
1)鳥類
2)クジラ、イルカ
3)コウモリ
別にだから、アクア説云々じゃありませんが、ようするに、
空を飛ぶか、水の中にずっといるような連中だけが、音声の随意化
を実現しているのです。唯一の例外が人間です。
鳥類とクジラ、イルカの類は、空中、あるいは水中ですので、
まず、呼吸の随意化が必要だというのです。一定の呼吸のペース
ではなく、飛び方、泳ぎ方などの基本的な随意行動に伴って、
呼吸を合わせ込まないといけません。チンプなどは、呼吸にあわせて
歩く感じですかね。人間は、歩くときなどは基本的に呼吸にあわせて
いる部分もあるんですが、音声を出すときには完全に音声言語に支配
された呼吸がなされます。
コウモリについては、これまさに、レーダーの役割をする超音波発生
のための声ですから、飛び方にまさに絡む。
で、これには、神経系統がかなり大規模に変化する必要があるという
のですね。以上は(コウモリの話はのぞいて)、テレンス・ディーコン
の本「ヒトはなぜ人になったのか」にあります。
で、そのため、ずいぶんと時間がかかっただろうと。

>  人類学では言語をどのように考えているのですか?

さて、専門ではないですから、なんとも。ディーコンの本はいろいろ
考えさせられますが。その解決作を考えたと思っています。
まあ、私のページに書いた、「社会的言語」なのですが。
> 
>  私は言語以外の方法で当該の動物または多種の動物が実現して
>  いるコミュニケーションしかできない発声は言語ではないと思
>  います。言語について深く考えていないので、そのあたりのこ
>  とは助けが欲しいところですが、稚拙ながら、今私の思ってい
>  るイメージは「単語」があって、それを結びつける「文法」が
>  あることで、他者目の前にない状況でも他者に伝わるようなも
>  のが言語だと私は思っています。そうなるとミツバチのダンス
>  が含まれそうだなぁ・・・(^^;;

ロビン・ダンバーとかのコミュニケーションは毛繕いって説から始まり、
ゲラダヒヒの音声によるコミュニケーションがあるのはよいとして、
そのあたりからの展開としての、社会的言語を想定します。
これは、スティーブン・ミズンの説に誘導されたものです(私が)。
それは、集団内の個体を示す固有名詞と、個体間の関係を表す動詞
形容詞からなるというものです。これで、社会的文脈はすべて表現
可能。でも、普通名詞はありませんから、石器をどう作るとか、
そういう表現はないわけで。
噂話もできるし、だれだれさんがだれださんのこと好きだってさ、
みたいな話もできるし、たぶん、女の子をくどくこともできる。
で、この状況で、人間の心の理論が、チンプなみの志向性レベル2
か3くらいから、5とか6とかに跳ね上がったと思います。
実は、この心の理論の志向性レベルが高いことは、その後の論理的
思考に非常に重要だと思うので、たぶん、本格的な言語が始まる
前に、噂話もできるような志向性レベルの高いコミュニケーションが
可能な言語があったと想定します。
進化的な枠組みとして、チンプもかなりの社会をもっているわけです
が、どうも知能が社会性の中に閉じているというのがミズンの説です。
ほかに、技術的な知能や、食料採集のための博物的知能もあるが、
それと、社会的知能はほとんどつながりがないという。ミズンは、
「人間性の獲得」ってういうか、Enlightenment のようなものは、
たぶん、知能が融合したことで起こると考えています。
で、そのときに、社会的知能が他をも支配できるようになったというわけ
です。
で、この話と、ディーコンのいう「シンボリック言語」というもの、
つまり、世の中の事象を心の中でシンボル化している言語が人間の言語
だという話と結びつけると、最初にあった社会的言語、つまり、集団
内の個体の固有名詞と、個体間の関係だけを表す動詞や形容詞しかない
言語から、「擬人化」が行われることで、すべてのモノ、コトに
名前がついて、それが普通名詞を生む。そうすると、すべてのコト、モノ
に対して、高度に発達した心の理論を適用することができる。
狩猟のときに、獲物の動物の立場を考慮して、「のどが渇いているだろう
から、次に向かうのは水場かもしれない」とか「そろそろ一休み
するくらい疲れているだろう」とか考えて狩りをするのと、ただ、博物的
な知識で、「このあたりを獲物が通る。だから待つ。」「逃げたから逐う」
とかいう程度の狩りでは、まるで狩りの成功率が違ってくる。
ようするに、一緒に生活する集団による社会を、周囲の事物、動物、コト
モノすべてに拡張したときに、すんなりとシンボリズムが成立するわけ
です。ですから、そのための前適応として、社会的言語の存在を想定
するわけです。
こうすると、ディーコンの説とミズンの説をつなげることができるし、
さらに、それによって、「ものの仕組み」を考慮したり、ものに対する
メンタルモデルを作る論理的思考というものが、現代人において存在する
理由もわかると思うんですね。

いかがでしょうか?

おにりん