おにりんです。
どうもです。

>  これ以降の記述を読んで、同志を見つけた気分です。
> 
>  石器制作の技術が系統的に発達し、精緻なものとなっていっ
>  たのが、ある時崩れてしまった。というくだりは、ローレン
>  ツの言う「本能の鎖」を思い起こさせます。精緻な造形物を
>  作る動物はヒトに限らず様々な分類群の中に見ることができ
>  ます。でも彼らは、遺伝的に固定された行動の素過程(素行
>  動?)が、遺伝的に固定された連鎖を形成し、一連の行動を
>  とり、「本能行動」とされています。ローレンツはネコの狩
>  猟行動に遺伝的に固定された行動の素過程を分析して論じ、
>  行動の進化の一つに、本能の鎖が緩んでくることをあげてい
>  ます。私はこの考え方を支持しています。

なるほど。つまり、行動が遺伝的に決定されている、まあ、
決定というよりは、誘導されているということではないかと
思うのですが、そういうことですよね。
実は、こういうことも考えました。
たとえば、食べ物で、おいしいモノは本来からだによいもので、
まずいものは本来からだに悪いもので、だから、おいしいものを
食べたいという欲求があれば、基本的にそれを食べることで、
体は健康に保たれるようになっているわけです。しかし、ときに
は、不味いものでも体によいものもあるでしょう。それは、たま
たま、他の体に悪いものと似た成分で効能が違うような成分だった
が故に不味いけれど、でも本当は体によいとか。そうすると、
不味いが故に食べないというのがあります。ところが、我々は
舌がひんまがるような劇辛なものなど食べて喜んでいたりする
異常なところがありまして、まあ、カプサイシンは体にとって
良い効能もあるのですが、そういう意味では、なんか進化的に
誘導される行動から「はずれている」のが現代人なのですね。
一方で野生的な段階にとどまったら、不味いけれど体によいもの
を食べることはほとんどあり得ない。そこに進化による拘束、
進化による発展の阻害のようなものがあると思うわけです。

>  FOXP2の2アミノ酸残基の変異が脳の本来の活動の破壊にある
>  のではないかという推論が、まさに、この本能の鎖の破壊を
>  指していると見れば、ここに同志を見つけたという感じです。
>  本能の鎖がほどければほどけるほど、固定的シーケンスでは
>  うまく働いていいたことが、うまくできなくなります。それ
>  を補って、行動の素過程を目的に合わせて組合わせたシーケ
>  ンスに組み上げるために発達してきたのが知能であり、素過
>  程がばらばらになることと、知能の発達が組み合わさること
>  で、より適応的な行動がとれるようになったのだと考えてお
>  ります。

はい。もちろん、このような遺伝的に制約、誘導された行動の
ための遺伝子が破壊されることは特定の突然変異の確率で起こる
わけですが、アフリカ中期石器時代(MSA)の段階になると、
ある程度の独自性や地域性がでてきているので、この破壊があって
も、前適応ができていた。だから、破壊されたことが中立進化
であったために、破壊状態が拡散したということを考えたわけで
す。それ以前のアシュール式とかオルドヴァイ式のときは、その
ような破壊があったら、速攻で淘汰されてしまう。
> 
>  ここで示されているように、言語以前の発声は、本能の鎖に
>  強く連鎖しています。例えば「ふーどふーど」と叫ぶ行動か
>  ら、「ふ」や「ど」をバラバラにして、自由に別の音と組合
>  わせる能力を獲得しなければ言葉を作ることはできません。
>  言語が生まれる時は、本能的な発声という本能の鎖がバラ
>  バラにされて、知能で再構成することができるということで
>  すから、石器に見られる変化と言語の獲得がパラレルに起っ
>  た可能性はあると見ております。

音声の随意化は、かなり先行していたと思いますけれどね。
私は、現代の言語とは質的に違うけれど、部分的にはかなり
高度な言語が、200万年前から10万年前ごろまでにしっかり
と発達しつつあったと思っています。ただ、最後の一押しとなる
言語の質的変化が、そのFOXP2とも関係して、7万年前ごろに
起こった「なにか」とともに、起こったということで。

おにりん