久野です。なんかすごいタイトルですが…

pumpkin-soup@coral.ocn.ne.jpさん:
> ここにおいて、この「一般経験則」においても両者の主張を「正当だ」として
> 認めざるを得ない場合が出てくる。自分は、此れが起こるのは一般経験則
> がやはり「一般」であるに過ぎなく、その意味で抽象性をどうしても含むゆえ
> の結果ではなかろうかと疑っているのではあるが、このことを認めざるを得
> ない場合というものがどうしても出てくる。もちろん最初から、個人の数だけ
> 経験則がありそれを規準にするというのよりは数が少ないことは確かであ
> ろうが。

  それは納得できます。個人の数だけ正当性がなくても、複数の正当性
がある、ということが認められれば私としては満足ですね。

  次の点として、それぞれの個人が正当性を判断するその結果というも
のは、各時点で新たに採り入れる情報、たとえば議論相手の主張などに
応じて変化していくことはありますよね。説得されるとか。そのように
して複数の「正当」が変化し合流し統合されていくことで、結果として
生まれた「正当」の「らしさ」は増して行く、そこに議論をする価値が
ある…

                と、私は思っているわけで。               久野

P.S. でも決して「1つだけ」になることはないでしょう。まあ検討対象
     の内容によるでしょうけど。