"M_SHIRAISHI" <eurms@apionet.or.jp> wrote in message
news:800c7853.0409290845.39aead13@posting.google.com...
> "Golden Cross" <pumpkin-soup@coral.ocn.ne.jp> wrote in message
news:<cjdod7$8hb$1@news-est.ocn.ad.jp>...
> >
> > ドイツの謝罪はナチスの蛮行に関するする謝罪であって、ドイツ人自身の行為に
> > 関する謝罪ではないとする説と、ドイツ人自身の行為として恥じている部分はあ
> > ると言う説とが対立しています。やや、ナチスの行為に関する謝罪ではないか、
> > とする説が優位か。
>
> ナチスは、クーデターで政権を取ったんじゃなくて、選挙でドイツ国民の圧倒的支
> 持> を得て政権を獲得したのだから、ナチスだけではなく、ドイツ国民一般に責任
> があり、謝罪する義務はドイツ国民一般にあると考えるのが当然だろう。

M_SHIRA 大先生は主張を一貫させようと意識し過ぎてはいませんか?この場合、
「主張を一貫させる」(*)ことは、M_SHIRA大先生にとっては、投稿姿勢のみなら
ず、投稿内容においてもご自分の見解の正当性を裏付ける根拠・理由となると
の立場に立っておられるようです。

             (*)以前、日本国は謝罪するべきとの考えを示され、
               今回ドイツに対しても同様の考えを示そうとされ
               ています。

つまり、M_SHiRA大先生は、投稿姿勢を一貫され、投稿「姿勢」の一貫性は投稿
「内容」に関する「論理の一貫性」を付与するとの観念に縛られておられるように
お見受けいたします。

しかし、私は逆ではないかと考えます。投稿内容自体の検討・熟慮の結果、内容
における妥当な判断と結論、そしてそれらが論理一貫していたならば、前回、
前々回或いは今後の投稿に一貫した姿勢ありとされなくとも、個々の投稿内容に
関する信頼性がそれを理由にいささかも減じられるものではない。また、投稿姿勢
を一種の一般的論理性に見たてるならばそれの一貫性は個別結論の妥当性を
導かない。つまり、一種の、

                            ”一般は個別を規定しない”

の一つ。

ですから、M_SHIRA大先生にはもう少し自由な発想で且つ自由に、このドイツの
姿勢を論じていただきたかったですね。

--
Golden Cross