"Joe Keen" <mgpot@hotmail.com> wrote in message
news:414cb2e7.1183%mgpot@hotmail.com...
[at japan.jiji]
> 「わび」と「さび」はどう違うんですか? こういう質
>  問を俳句を詠む人に投げかけたことがこれまで何回かあ
>  るが、きちんと答えられた人はこれまで皆無である。



               「美覚」

 生まれつき視力がない人に、「赤」と「緑」の違いを説明するのは、
非常に困難なことである。試しに、その手を、赤い紙や緑の紙に
触らせても、意味のないことである。なぜなら、それは、
触覚の問題ではなく、視覚の問題であるからだ。

 同じように、生まれつき美覚がない人に、詩の美しさを理解させ
ることは、非常に難しいことである。なぜなら、それは通常の感覚の
問題ではないからである

 一般に、人間には視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五つの感覚ある。
それらは、脳に対して、末端の位置に、それに応じた細胞なり組織を
持っている(視覚なら、網膜や、その網膜にあるロッド細胞など)。
 これらの感覚は…脳内にあるソフトと、末端にあるハード…
感覚器官とセットになっているのである。

 しかし、先にあげた美覚は違う。美覚は、末端を持たず、脳自体が
器官である。脳内に流れるあらゆる情報を調べ、「美」のみを
その主体に意識させる。それが、あるときは数式であったり,
映像であったりもする。

 この美覚は各自が受け継いだ遺伝情報の中に存在していなけ
れば、後天的に作り上げることは不可能である、よって、
「美」を理解できない者を責めることは出来ない。なぜなら、
それは、個人の責任ではないからである。


 けれども、五つ感覚を総動員することによって、美の近似値を体感させる
ことが、近年、研究の結果、出来るようになったのである。
 「わび」・「さび」の場合は、あるものを良く凝視して、匂いを確かめ、
その名を大声で唱え、さらに、その物を良く噛むのである。
 つまり、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚を融合させることにより、
錯覚を発生させ、美の近似値を得るのである…。

 その物とは、「わ」と「さ」と「び」から、構成されている。
「わさび」である。
"Joe Keen"氏よ、
「美」を堪能するがよい。

(おわりん)


# まあまあ。
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123.あ〜い●◎∵太陽[]<>+P)==~|◇diagram×!#&ぶーんbottle☆:-tt??