飯塚(東京都)です。

"Yoshitaka Ikeda" <ikeda@4bn.ne.jp> wrote in message
news:ces09r$3g0$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp...

> >> 言葉を失いました。
> >
> > まぁ、そんな風に見えないことないかもしれず。(どっちや)
> > でもまぁ、そういう方に限って、『実はなんにも知らない』ことが
> >多かったりするので、また不思議なものです。
> >
> > 実際池田さんて方は、かなり右翼的に見えることがあると思
> >うのですが、投稿を見ると本人気がついてないようです。
>
> 私は右よりですよ?極右ではありませんが。
> 左は嫌いだし。親の教育の賜物ですな。

 あ、自覚あったんですか。
 それは失礼。


> >"Yoshitaka Ikeda" <ikeda@4bn.ne.jp> wrote in message
> >news:ceqb83$hcv$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp...
> >> 「シナ人」という言葉のどこにも侮蔑的意味の言葉が入っているわけではあり
> >> ません
> >
> >「明らかに侮蔑的意味を込めて使用された史実」を、知らな
> >いあたり、なぜなんだろ〜って思いますよね。
>
> 私は、「シナ」にも「人」も元来侮蔑的な意味の言葉ではなく、
> かつ「日本鬼子」のうち「鬼子」はあきらかに侮蔑的な意味の言葉である。
> と述べた上で、

 該当記述を探してもみつかりませんでしたけど。(^^;)


> 「シナ人」という言葉が元来の意味に「侮蔑的な意味合いが
> ついていった」のに対し、「日本鬼子」は「侮蔑するために作
> られた言葉だ」と主張しているわけです。どちらが罪深いか
> といえば後者の方が罪深いでしょう。

 蔑称をあえてランク付けして、どっちが罪深いか論じること
が、最初からくだらないことだと思いますね。
 どんな形であれ、蔑称を使うこと自体罪深いことでしょう。

 それをあえて問うとすれば、歴史的に古い蔑称ほど罪深
いと思います。
 それだけ長く蔑視感が残ってるということになりますから。
 ちなみに「支那」が蔑称になったのは、大正時代とされて
いますね。(「支那」と呼んだことについての考察」佐藤三郎)


> 今、日本で「シナ人」という言葉を使うのはわりと少数ですが、

 ま、使うな使うなと散々言いましたからね。


> 中国で「日本鬼子」や韓国や北朝鮮で「倭奴」というのは今
> でも学校で教えられる言葉ですよ。

 ああ中国はダメな国なんだなぁ、と思ってればいいんじゃ
ないでしょうか。
 対抗してこっちが蔑称を使ったり、蔑称を擁護したりすると
同類になってしまいます。


> 我々にはそれを批判する自由があるのは当たり前だと思う
> のですが?
> もしかして、そんな主張をする言論の自由はないとかおっしゃりますか?

 批判は自由ですよ。
 しかし今回のように蔑称「支那」を擁護すると、やり過ぎだと
指摘しているだけです。


> 飯塚さんはかなり左翼的な言動が多いと私には見えます。
>それは自覚してらっしゃる?

 私は右でも左でもなく、ただの「愛国者」だと思ってます。(^^)

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 東京都 飯塚顕充