間違って兼松さんにメールで送ってしまったようなので
出し直します。(^^;

fj.sci.lang.japaneseの記事<cddhpd$sv$1@news-est.ocn.ad.jp>で
        ksinya@quartz.ocn.ne.jpさんは書きました。
>   間違いとは言いませんが、「的を得る」という表現を間違いとする必要があ
> るとは思いません。指導要領にそう書かれていたら、そう教える義務がありま
> すが、その場合でも、私が教師なら、あくまでも「テストでは×です。」と
> いうことを強調したいですね。

そうですね。たぶん私でもそうします。ただ、「的を射
る」を知らずに「的を得る」だけを知っているというの
はバランスを大きく欠くと思うわけです。

>   そうですか。わたしが繊細でないせいかもしれませんが、慣用句としての上
> 記二表現の主語(主格)は、第一義的には矢であり、隠れた主格的なものとして、
> 人があるように感じます。(慣用句でない表現が「隠れた主格的なもの」を連
> 想させます。)

「的を得る」では主格がかなり隠れている、というか意
識から外れているような気がするのですよ。

私の感覚では「的を得た表現」は表現そのものをほめる
もの、「的を射た表現」は表現とともにその表現を選ん
だ人をもほめるもの、という感じですね。
-- 
太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所
ohta@sdg.mdd.ricoh.co.jp