錯綜させてすみません&詳しい解説ありがとうございますm(_ _)m。

恐れ入りますが教えてください。

Yuzuru Hiraga さんのメッセージ:

> 特に2変数関数 f(x,y) において:
>  ・f を x で偏微分する
>  ・全微分 df = fx dx + fy dy で dy=0 とする
>  ・y を定数と思って(y の値を固定して)x で(常)微分する
> はいずれも結果としては同じ意味であること、「f を x で微分する」
> というのは、あえて解釈すればその意味に解されることに注意しておきます。

この3つのうち 全微分 df だけは「全微分可能なとき」という制限がつきます
よね?

もちろん今話題になっているのは「f(x+Δx)−f(x)」ですから f(x)が x で二階微
分可能なら「x,Δx で」全微分可能ですが。

YN> そして,x,zについての全微分
YN>
YN> d(f'(x)・z)=f''(x)zdx+f'(x)dz
YN>
YN> からの,少し抵抗(変なこだわりかもしれませんが)があるのですが,
YN>
YN> 「x,Δx についての全微分」
YN>
YN> d(f'(x)・Δx)=f''(x)Δxdx+f'(x)d(Δx)
YN>
YN> では d(Δx)=0 とするのに抵抗はありませんか?
YN>
YN> Δx は 微分の定義において他の変数とは違った役割をもちませんか?
YN>YN> どの変数について微分を考えているかによって,d(*)の意味も変わって
きませんか?

は

> まとめると、d(dx)=0 というのは「高階の微分は共通の dx の文脈で考える」という
> 要請から得られます(最初にも言ったように、これを人為的な要請と考えるか、
> 天与の条件と考えるかは単なる立場の違いにすぎません)。

で,冒頭の件を除いておおよそ了解できたような気がします。私の「抵抗」は
「立場の違い」ってことですね。

ただ「天与の条件」と思っていたわけではなく,

>  # その点、(dx)2 の項を先に取り出してしまってから d(dx)=0 を言うのは
>  # 手順前後に思えます。

でご指摘されている式変形から,解析概論 p.51 では「d(Δx)=0」より前の部分
から「共通の dx の文脈で考える」としていると読むのが「普通」と感じていま
した。(普通じゃないかもしれませんが。)

>  # この「dx で割る」というのが微分の代数的操作の一例です。
>  # これについては後で(別便で)触れます。

> =====
> あと、Bourbaki と「再建」問題があるんだよね。これもちょっと手間だなあ。

お待ちしています。よろしくお願いします。