> わたしなんか、ああ、こういう気合の入った試合をいつでもできるようにしてく
> れないかな。と思いながら見ていました。「してくれないかな」というのは監督
> に対してです。きちっとしたプランと理論をもとに、選手の体調面心理面を適切
> にケアし、同時に刺激して、チームが「いつでも」ああいうマシな内容の試合が
> できるように「する」のが監督の役目だと思っています。
> 
> そして、それを「する」ためのチームマネジメントの理論はジーコにはありませ
> ん。あるのは選手選びのカンだけで、それもなにしろ「カン」だからそれが機能
> するときもあるししないときもある、たまたま選んだ選手に気合が乗ったときは
> ランキング上位チームといい内容の試合をやって、そのなかのいくつかは勝つで
> しょうが、気合がのらなきゃちぐはぐな内容の試合に終始して、格下にやっとこ
> さっとこ勝ったり、予選での取りこぼしの心配だってある。それじゃ心配でしょ
> うがないわけです。

> > それとも勝とうが負けようが試合の分析に明け暮れ、「やはりジーコじゃダメだ」と
> > いう結論を導き出そうとするだけなのでしょうか?
> 
> 私は試合の分析をそんなにする方じゃありませんが、私にとって監督がジーコ
> じゃW杯予選は心配でしょうがないという結論は「出そうとする」んじゃなく
> て、もう出てしまっています。
> 
> 解任じゃなくて、予選では「休養」してもらって、大会本戦になったら総監督と
> して復活というのでもいいですけど。

まあ長々と書かれていますが、それは端的にいうと、
えー、「いわゆるひとつの」プランというものですか?

                                                    ほくなん < やばいって。