! "<4082951c$0$19836$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 18 Apr 2004 23:47:52 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> 1.A氏は煙草をポイ捨てする
> 2.B氏は空き缶をポイ捨てする
> 3.B氏は1についてA氏を批判する

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c5game$74p$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> つまり、ある特定の味噌汁を対象にして話を作っていて、その味噌汁に石ころ
>>>> が入ってるって話です。
>> 
>>> 普通の味噌汁にはそんなものは入っていないよね。違いますか?
>> 
>> そうですね。
>> そしてこの話に出てくるのは、普通でない、ある特定の味噌汁だけです。

> ある状態を特殊であると認知する為には、普通の状態に対する正しい認識が不
> 可欠です。

この話の中で、特殊かどうかは特に関係ないでしょ?
この話の中に出てきたのは、ある特定の味噌汁だけだってのが、省略してよい
根拠なんだから。

例え話の登場人物として、

マスター: 36歳、独身、お人よし、引込み思案、照れ屋、まぬけ

とか書いたときに、他のマスターや一般のマスターと混同する可能性がありま
すか?
普通は、その特定のマスターのことだって分かるでしょ?
他のマスターが出てくるとしたら、その時点で区別すればいいだけの話で。

>> だから、「普通の味噌汁」が話の中に出てくるようなら、省略すると混乱するっ
>> て言ってるじゃないですか。

> そのような場合は、「石ころの混入した駄目な味噌汁(以下、味噌汁と省略)」
> のように予め宣言しておくのが良いでしょう。

まあ、そう書けばwacky氏でさえ混同しないだろうってのは分かりますがね。
普通はそこまでしなくても混同しないでしょ。

> でなければ、たとえ積極的に
> 扱っていなくとも、それが「(普通の)味噌汁」の存在を前提としていることは
> 明らかである以上、何時か何処かで必ず誤解を生じるでしょう。

上のマスターの例は、世の中にもっと普通のマスターがいてもかまわない設定
だけど、混同しないよね。
同様に、味噌汁の例え話は、世の中にもっと普通の味噌汁があってもかまわな
い設定だけど、普通の人は混同しません。

> =====

> 「Aが存在しない限りBは存在できないがBなしでもAは存在できる」ような場合
> は両者は対等な関係にあるとは言えない。ということです。たとえば「1.A
> 氏は煙草をポイ捨てする」と「3.B氏は1についてA氏を批判する」の関係が
> これにあたります。

という定義からは、
・1と2は対等
・2と3は対等
・1と3は対等でない
ということになりそうですが、そういう意味?

>> A: 石ころ
>> B: わかめ
>> C: 豆腐
>> 
>> として、A, B, Cの順番で作成中の味噌汁に放り込まれたとしましょう。
>> これだと、上記の1, 2, 3の行為がその順番で行なわれたのと完全にパラレル
>> だよね。

> 上記より否です。
> 喩のA,B,Cは独立かつ対等な関係にありますが、行為1〜3はそうではない。

じゃあ、
A: 大豆
B: 石ころ
C: 豆腐
でどう?

> =====

> いいえ、「豆腐」は「3.B氏は1についてA氏を批判する」という小行為に過
> ぎません。そして、大行為と小行為が同じでないことに説明の必要はないで
> しょう。

自分で何をどういう文脈で書いたか覚えてないんですね。

<406ee429$1$19850$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| 繰り返しますが「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判という行
| 為」ですね。

に対して、

<c4rad3$sag$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: ならば「味噌汁という状況における豆腐」に対応させてよいですね?

と言ったのを受けて、

<40715e91$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| 幾らなんでも「味噌汁という状況」はオカシイでしょう。そこには豆腐自身ま
| で含まれちゃうじゃん。まあ、「味噌汁に石ころが混入しているという状況に
| おける豆腐」ぐらいならオッケーかもしれません。

と書いてるわけですよ。
ごく普通に解釈すれば、「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判と
いう行為」を「味噌汁に石ころが混入しているという状況における豆腐」に対
応させるのが「オッケーかもしれません」と言ってるわけでしょ?

自分で書いたことを自分で否定するんですか?

>> もちろん、行為の評価として対象になり得るのは、「1と2が行なわれたという
>> 状況で行なわれた3」という行為であって、「1と2が行なわれたという状況で3
>> が行なわれた」という状況ではありません。

> #「それくらい分かれよ」と言いたいところですが、それを求めてはならない
> #のでしょうね。^_^;

> では、説明します。
> 1.A氏は煙草をポイ捨てする
> 2.B氏は空き缶をポイ捨てする
> 3'.B氏は1についてA氏を批判したいという欲求を持つ
> とこの時点で「自己棚上げ」という*状況*が成立し、その状況下で
> 3.B氏は1についてA氏を批判する
> という(大)行為→「自己棚上げな批判」が行われるものと考えられます。
> 従って、簡便に「1と2の状況における3という状況」と述べた場合は上記の
> 状況を示しています。

「1と2と3が行なわれた状況」のことですね。
もちろん、それは、状況であって、「行為の評価」の対象ではありません。

> =====

>>>> 1と2と3を小行為とする大行為は、普通に考えて有り得ないですよね?

>>> 「1と2の状況下での3→自己棚上げな批判」こそが大行為ですね。単なる3
>>> はこの場合小行為に過ぎないでしょう。
>> 
>> その大行為は、他にどんな小行為からなるんでしょうか?

> 大行為たる「自己棚上げな批判」は1〜3の小行為からなります。

小行為ってのは、大行為の目的たる大目的を達成するために行なわれる行為の
ことじゃなかったんですか?
何らかの目的を達成するために、AとBが協力して1〜3を行なったとでも?

で、小々行為ってのはどうなりました?

> 「3.B氏は1についてA氏を批判する」という小行為を行うにあたって必要と
> なる前提は「1.A氏は煙草をポイ捨てする」のみであって「2.B氏は空き缶
> をポイ捨てする」は不要です。至極当たり前の話ですが、自分がポイ捨てして
> いなくても他人のポイ捨てを批判することは可能ですからね。
> 翻って、「自己棚上げな批判」という大行為であるためには小行為2が不可欠
> です。これが大行為としての批判と小行為としての批判の違いです。

わけわからん。

> #KGK氏の問題は「その行為が行われた状況」と「その行為が成立する為に必
> #要な状況」を混同していることでしょう。

「その行為が成立する為に必要な状況」なんて、なんで必要なんです?
ある状況で行為が行なわれたら、その状況におけるその行為の評価をすればい
いだけの話でしょ?
他の状況で行なったら行為につけた名称が変わるかどうかなんて、行為の評価
の本質じゃないやん。

>> しかも、上では「1と2の状況における3」を状況と書いて、ここでは行為と書
>> いてるようですが、一体どっちなんでしょう?

> KGK氏が自ら述べているように、

> http://www.google.co.jp/groups?selm=br46s6%24de8%241%40film.rlss.okayama-u.ac.jp&oe=UTF-8&output=gplain
> Message-ID: <br46s6$de8$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>
> 自分の行為だろうが他人の行為だろうが、既に起こったことは「状況」として
> 捉えるのが可能だし自然だしやってよいことです。
> http://www.google.co.jp/groups?selm=br46s6%24de8%241%40film.rlss.okayama-u.ac.jp&oe=UTF-8&output=gplain

どっかで修正したと思うけどなあ。

> 小行為の結果は大行為の状況と成り得るのですよ。忘れたのですか?

「1と2の状況における3」ってのは小行為の結果なんですか?
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK