fj.sci.lang.japanese,fj.miscの記事<c0ljo6$off$1@newsflood.tokyo.att.ne.jp>で
        sbsbno@zbc.btt.ne.jpさんは書きました。
> 7年以上前に「正鵠を得る」と「正鵠を射る」のとどちらが正しいのか?というスレを
> fj.miscで立てた笹野です。

なつかしいですね。お約束で「スレって何ですか?」と
返しておきましょう。:-)

> 語源的には「正鵠を得る」のが正しい。「正鵠を射る」のは誤用。

「正鵠を得る」のほうが正しいのはおっしゃるとおりで
しょう。ただ、「正鵠を得る」という用法が固定してい
たわけではないので、「正鵠を射る」が使われはじめた
当時であっても誤用とはいいがたいと思います。

「射て〜に当てる」ことを「〜を射る」と呼んでもよい
というのは日本語としてふつうの言語感覚ですよね。

また「的を射る」についても、おそらく「正鵠を射る」
のほうが優勢になってから作られたことばだろうと思う
ので、そうであるかぎり正統にならうには「的を射る」
のほうを使うべきでしょう。

現在ふつうの人が「的を得る」を使ったとしたら、それ
は「的を射る」と(それと起源が同じである)「当を得る」
を混同している場合のほうが多いでしょう。そうでない
としたら上記のページで示されている文献を読んでその
表現を覚えた人か、その人から表現を受け継いだ人だと
思います。

なので、自分がそこまでわかって「的を得る」を使うの
であればそれでもよいのですが、他人がそこまでわかっ
て使っているかどうかを確認せずに「語源的にはこちら
のほうが正しい」と指摘するのはやりすぎだろうと思っ
ています。

たとえば日本語を習っている外国人が(おそらく間違え
て)「あらたしい」といったとき、「いや、『あたらし
い』というんだよ」と指摘した人に対して「語源的には
『あらたしい』のほうが正しいんだ」と指摘しても得る
ところはないでしょう。それと同じことだと思います。

その場合でももちろん、本来の正統にならって「いや
『あらたしい』のほうが正しいのだから私はそっちを
使う」と主張する人がいてもおかしくありませんし、
その人自身に文句をつけるつもりもありません。:-)
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太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所
ohta@sdg.mdd.ricoh.co.jp