その馬鹿とはよく民主主義とは価値相対主義…、とかさえずってるオッサンですね。
(1)民主主義の「内容」は鼻くその程も言えずに、また(2)民主主義とはこう言
う態度をとること、とか人々の気分を言うのみ。それを言うならそれこそ価値相対的
行動であってオッサンがとやかく言える筋合いのことではない。

「気分」は「制度」ではない。民主主義は価値相対主義を前提とするにしてもそれは
あくまでも「前提とする」だけ。民主主義は前提するものが何かとは別に改めて盛ら
れるべき内容がある。その内容は一切語れない馬鹿である。歴史をお勉強中の高校生
同然である。また、民主主義の反映可能的な制度を描けず、ただの「気分」で止まっ
ている限りは客観的「政治」の世界の問題ではない。なお一層に、価値相対主義を言
うのみではそれは個人の内部の問題であることは言うまでも無い。この内部の問題と
他とかかわると言う意味での客観的問題との区別がつかないところが大馬鹿の証拠で
ある。この手の馬鹿は文学部的劣等学生に多数存在する。

こういう気持ちでやれ、ああいう気持ちでやれ、こういう気持ちを持つことはいいこ
とだ、ああいう気持ちを持つこともいいことだ、俺はこういう気分でいる。だから何
なの?だ。こんなことをさえずって何かなると思ってるんでしょうかねぇ。そんな気
分を持たないのも自由だ。価値相対主義だからよ。(笑い)何か文句あっか?これで
終わりだよね。

で、このオッサンは「(歴史)用語」の羅列とわずかの原因結果で綴られている高校
の教科書みたいに、「用語のイメージ」で意見を吐いているだけ。その用語の背後に
「原理」と「論理」と「経過」というものがあり、それを補う力が恐ろしいほど弱
い。「経過」は補っているように見える場合もよく見ると文学部的感想文。こういう
点でもオッサンは馬鹿である。Murakiちゃんと言う方が揶揄されていたよね、教科書
の中の標語的タイトルのイメージで議論するって。内容でその標語の壁を突き破って
先に進むって言うなら一向におかしいことではないが、そこから進み掘り下げること
は一切ない。同じことを何度もさえずるだけ。このオッサンは明らかに馬鹿の一人
だ。

文学部的馬鹿は皆この程度で十分だと思って疑う能力の欠如した動物だ。何か思考上
<足りないもの>があるとは思えないんだろうかねえ。この種の動物が同じ人間だと
か囁かれるのを聞くにつけ、ヒットラーの偉大さを改めて思わざるを得ない。

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みんなのケンちゃん