"Joe Keen" <mgpot@hotmail.com> wrote in message
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賛成反対はともかく、純粋な質問とお受け取り頂きたいと思います。

> 自由主義:個人の尊厳を民主主義による決定
> よりも基本的には優先するという考え方。

そうしますと「民主主義」によっては「個人の尊厳」は確保されないと言うことで
しょうか?

> 民主主義:構成員が自然的に平等な条件を満
> たして自然的に平等な参政権を得ることがで
> きる体制。

申し訳ありませんが漠然としているように思います。特に、その「参政権」と言うの
は言葉は明確のようですが極めてあいまいです。「(平等な)参政権を得る」とおっ
しゃいますが、そうしますと国政においては国会議員の選挙のときだけに当てはまる
ことと受け取ってよろしいのでしょうか?たとえば議院内閣制の内閣制度などは民主
主義に反することになるのでしょうか?

> 民主主義の発祥は歴史においては古代ギリシ
> アである。アテネでは、自然的に平等な条件
> ――成年男子であること――を満たせば、体
> 制の構成員は民会に参加することができた。

前述とほぼ同様の質問ですが、「民会に参加」つまり自ら自己の体を民会の場に持ち
込めることが民主主義ということでしょうか?それともそれだけでは足りず、何か意
見を述べることでしょうか?それでも足りず一票を投ずることまで要求するのでしょ
うか?

> しかし、ソクラテスが自らの哲学を唱えたと
> き、彼の尊厳は体制によっては守られなかっ
> た。民主主義による決定が個人の尊厳を踏み
> にじってしまったわけであり、民主主義と自
> 由主義は完全に別物なのである。

この例の場合「踏みにじ」られたとされる「個人の尊厳」は、何故、ソクラテスの我
侭であったとは考えられないのでしょうか?どんな我侭でも客観的にも認められるべ
きだとすれば「尊厳」の自己否定に繋がり、異説を述べているも同然のようにも思え
るのですが。

> 自由主義は民主主義に対して優先されなけれ
> ばならない。優先順位が逆になった場合には、
> 例えば、ナチスのような全体主義の横行とい
> うこともありえる。

総じて、

(1)あなたは「民主主義は」何のために(=目的・機能)唱えるものとお考えです
か?それに絡めて民主主義は個人の尊厳の実現を目指すものとは考えられないので
しょうか?

(2)仮に、民主主義も個人の尊厳確保に資するものだとした場合、この場合の民主
主義と自由主義の関係はどう説明されるのでしょうか?このことと絡めて「自由主義
が民主主義に対して優先されなければならない」とされる「優先性」の具体的内容と
理由をどのようなものと考えればよろしいのでしょうか?また、その「優先性」は具
体的にはどうやって確保されるのでしょうか?

(3)もし、単に、民主主義制度だけでは「漏れ」があるからと仰るのであれば、何
事もいくらかは「漏れ」が生ずるのは当たり前で100パーセント「漏れ」の無い制
度など考えられないと言うことに思い至すと同時にその「漏れ」は自由主義が補うの
だとした時、それならば性質上事後的に発動されるのは当たり前であってこの事後性
を性質上当然の優先性として性格付けてしまうのはおかしいことだとは言えないので
しょうか?

(4)結局、自由主義も民主主義もほとんど同じことであって近代立憲国家に辿り着
く過程で自由と言う観点からアプローチしたか民主と言う観点からアプローチしたか
の違いであって、「主義」としての優先もへったくれも無いとは言えないのでしょう
か?仮に違いがあるとすれば、優れて現代的観点=極度の表面上の民主主義の広がり
(真の成熟とは異なる)あるいは行き過ぎと言う場面で認識できるもので、それは国
民主権国家にあっては総体としての国民よりもある少数のエリート、たとえば裁判担
当者等に、より人権判断能力ありと認める主義のことである、とは考えられないで
しょうか?言い換えますと、総体としての国民に<衆愚>性を認識する主義、これが
自由主義だ、とは言えないのでしょうか?

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みんなのケンちゃん