小泉語録2
第159通常国会における小泉首相の施政方針演説での「義を為すは毀りを
避け誉れに就くに非ず」は、墨子「耕柱」に出てくる言葉である。
スタッフに調べさせて得たとするこの言葉を“国の名誉”に関連する格言と
して選んだらしいが、この言葉の原義は「主君のもとを去って道理にかなう
ものならば、狂った人間といわれても何も悔やむことはない」の意であると
私は解する。
しかも墨子といえば、自衛ための戦争を否定しないものの、小国を好んで攻
める好戦大国を徹底的に嫌った思想家であった。現代流にいえば、超軍事大
国のブッシュのような好戦的指導者を真っ先に槍玉にあげなければならない
のである。
然るに小泉はこのブッシュを尊崇し信頼して已まない。私が見るところでは、
小泉という奴は、ヤクザ社会の秩序気風を採り入れた復古的右翼的武断思想
の単純志向者であって、その野望は、超軍事大国の第一子分となり、大国と
共に世界を征服することに他ならないのではないか? 「米国と共に国際社会
をリードしていく」(昨日の小泉弁)というヒトラーのような高揚然たる姿
勢にそれが現れている。
こういうのを「墨子読みの墨子知らず」というのではないか?
国際社会をリード? ユーラシアの国々はお手並み拝見といったところだろう。
また、墨子は孔子とは反対の非儒の立場にあった。恐らくは小泉はそんなこと
も知らないのではないか?
小泉は別に曰く「平和は唱えるだけでは得られない」と。これまた然り。
しかし「はじめにことばありき」。まずは主張すること、次に、行動すること、
である。
小泉のはじめの言葉は「平和拒否、戦争支持」であった。そして戦争は実行さ
れた。イラクを滅茶苦茶に叩き壊し、イラク国民を不幸のどん底に陥れたのが
何者かは明々白々である。その歴史的な大罪は計り知れない。
平和を唱えるならその前に、戦争を唱えたゲテモノたちがすべて退陣するとこ
ろから始められなけれあならない。戦争愛好者や戦争指導者や戦争支持者らが
唱える「平和」はまったくの贋物である。
なお、昨年12月、衆院イラク復興支援特別委員会での中谷元前防衛庁長官の
質問に小泉が「論語」から「人知らずして慍らず」を引用し、“人が自分の仕
事を理解してくれなくても、決して怒ったり恨んだりしてはいけない”とみず
からの解釈を披瀝して答弁したと伝えられる。
そのような解釈ならば、むしろ、湾岸戦争のとき、カネだけを出して人的貢献
をしなかったがゆえに蒙ったとされるトラウマを感じた連中向けに語る言葉で
あったろう。
尤もこの言葉の原義は、「学問を極めれば、世の毀誉褒貶などは問うところで
はない」であると私は思っている。
小泉は実は「論語読みの論語知らず」だと思うが如何?
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735