! "<bpo2hh$li2$1@bgsv5648.tk.mesh.ad.jp>" という記事で
!     Sun, 23 Nov 2003 01:23:13 +0900 頃に 頼光  さん は言ったとさ:

> In article <bpn9r4$j88$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>> 反応する前は論拠の有無さえはっきりさせてない状態であったっものが、スト
>> レートな返答では、あいかわらず論拠の有無をはっきりさせてない状態のまま
>> です。
>> しかも、論拠なり論拠の有無なりを述べるように明示的に指示されたわけでは
>> ありません。
>> 特に何かが進展しているようには見えませんが。

>  見ないのは自由なのですが、本人から自白が取れたということ
> は、進展です。願望であることは明示され、それ以外の要素があ
> ることは不明ということは、願望のみであることの蓋然性が多い
> に高まるということなのですから。

論拠の有無以外のことを聞いて、論拠の有無以外の答えが返ってくるというの
は、論拠の有無に関する自白ではありません。

>>>> 読みにくいレポートに採点の価値がないのと同じことで、どんなに正しいこと
>>>> を書いても理解されなければ無駄です。
>> 
>>>  まず第一に、採点されるレポートと NetNews の記事は書き
>>> 手の読み手に対するスタンスが違います。
>>>  レポートは、読んでもらわなければ話になりませんから、
>>> 読んで理解してもらうことを考えます。しかも、読み手はか
>>> なり特定少数となります。他方、NetNews の記事は読みたい
>>> 人が読むものであり、不特定多数です。
>> 
>>>  その点を無視したアナロジーですから、これは意味があり
>>> ませんね。
>> 
>> netnews の記事であっても、読者を想定して、その読者に理解されるように書
>> くものです。
>> 実際に理解されるためには、単に理解可能なだけでは不充分で、理解しようと
>> する意欲がでる程度には容易に理解できる必要があります。
>> # 理解しようとするモチベーションはレポートの場合よりさらに低いのが普通

>  アナロジーに意味が無いことを認めているなら、もはやこんな
> 話はどうでもいい話になります。一般論すぎて議論の対象ではあ
> りません。

>  認めていないなら、その間は意味のある発言にはなりませんか
> ら、早目に放棄しましょう。

アナロジーに意味があるということを解説したんですが、理解できませんでし
たか?
「無視した」と頼光さんが記述している内容に対して無視していないことを示
してるんですが。

>> 馬鹿が採点する話など誰もしてません。

>  残念ながら、KOSAKA 氏の記述はそれをしていることを意味す
> るのです。
>  そのつもりでないとしたら、それは記述が不適切だったという
> ことですね。

この部分は、
<bndd6a$psk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: 実は、こうしたことの副産物として、「普通の人にも分かりやすい議論になる」
: という効果があります。普通の人がよく考えれば分かるという程度ではなく、
: 普通の人が一目見ればほとんど分かるような議論です。

からの流れですから、当然、読み手として考えている対象が普通の人です。

>  そして、KOSAKA氏は「書き手」として私のことを、さらにシー
> ンとして私(頼光)が馬鹿の記事にフォローを付けているものを
> 扱っており、その主張のスタンスは、「馬鹿が読むことを想定す
> べし」というものです。

それは、理解が間違ってます。

私がしてるのは、(サブジェクトにある通り)馬鹿制御の一般論です。
その解説の一部として、頼光さんのよくある発言は馬鹿制御としては不適切だ
と述べているわけです。
# 頼光さんは馬鹿制御をしようとしてないのだから、不適切なのは当たり前で
# すが。

で、当該部分は、上述のように「副産物」に関する話です。
それを、主目的と混ぜて理解するのは間違いです。

>>>  はて。
>>>  その意味であれば、私が普段していることと全く変わりま
>>> せんが、私がそうしていないと言いたいのでしょうか。
>> 
>> 何故そのような推測をするんでしょうか?
>> ここは、「対話可能」というのがどういうことかを説明してる部分であって、
>> 頼光さんが実践してるかどうかなど、全く関係ありませんが。

>  その疑問が出てくるということは、そもそもなんの関係も無い
> 話を持ち出していたということですね。

いいえ。

>  私のスタンスについて私が述べていることを引用しての話なの
> ですから、その文脈を踏まえれば、この「説明」が出てくる理由
> が私の行動に対する批判であると読解するのが、最も文脈に沿っ
> た読解というものです。

その程度のレンジでしか文脈を捉えていないことは分かりました。
しかし、もう一段遡って捉えると、別の捉え方になるはずです。

上述のように、この部分は、「対話可能」というのがどういうことかを説明し
てる部分です。
それに対して、説明を誤解しているようなフォローアップがあれば、さらに解
説を加えるのが普通です。
その誤解の内容が、特定個人のスタンスについて述べたものであっても、特に
関係ありません。

>  それと違う話をしているつもりだとしたら、KOSAKA 氏の引用
> は不適切です。

ちゃんと、「対話可能」の解説の一部だってことが分かるように引用したんで
すけどね。

この前(って8月だっけ?)の「脱線」の議論のときにも思ったんですが、頼光さ
んは自分の発言を軸にした「文脈」が人に理解されるのが当然だという態度を
取る割には、他人の発言を軸にした「文脈」の理解が疎かになってるように見
えます。

>> まあ、こういう反応は示唆的ですね。
>> 日頃、文脈に依存した文章をよく書く頼光さんが、引用した部分から読み取れ
>> る程度の文脈を取り損ねたわけですから。
>> 自分の文章の意味を他人に理解させるってことは、それほど容易なことではな
>> いってことを示しています。

>  意味不明な仄めかしは止めましょう。

仄めかしなどではなく、書いてある通りの主張です。

>>>> そこだけ切り出しても通用するように書くってのが、馬鹿にも理解できそうな
>>>> 文章のこつです。
>> 
>>>  そうなのかもしれませんが、私は馬鹿を対象読者にして記
>>> 事を書いたことはありませんし、今後もそのつもりはありま
>>> せん。
>> 
>> 「馬鹿にも理解できそうな」というのは「普通に人には容易に分かる」ってこ
>> とです。

>  両者、私は同じ意味には使いません。

同じ意味だとは書いてません。
# 逆は必ずしも真ではないですから。

>  従って、「ってことです」ということであれば、「そうなのか
> もしれませんが」は撤回します。そんな「こつ」など、存在し得
> ないのですから。

「できそうな」というのは「できる」ということを意味していません。

>> コメント文に頼って分かりにくい変数名をつけるのは、悪いプログラミングス
>> タイルです。
>> コメント文が足らなければ分かりにくいプログラムになるし、コメント文を多
>> 用すれば、重要なコメントが「薄まる」からです。
>> 
>> 同様に、他での解説に頼って個々の表現が分かりにくいのは、悪い文章スタイ
>> ルです。

>  何の反論にもなっていません。従って、感性の問題であると
> いう結論は、揺るぎません。

>  プログラミングのコメンテーションと文章記述とは、違う話
> です。成立しない比喩で何かを論証したような気になるのは、
> 止めましょう。

文章記述の比喩として用いているのはプログラミングであって、コメンテーショ
ンではありません。
# 当然、プログラミングはコメンテーションを含みますが。

>  コメント文は、何に相当するのか。

解説。

>  変数名は、何に相当するのか。

表現ユニット。

>  プログラミングスタイルは、何に相当するのか。

文章スタイル。

>  プログラムは、何に相当するのか。

文章。

>  コメント文の多用とは、何に相当するのか。

解説の多用。

つまり、
分かりにくい表現ユニットを使用して、その表現ユニットの解説を別に行なわ
なければ理解できないってのは、悪い文章スタイルだってことです。
表現ユニットの解説が少なければ理解しにくいし、表現ユニットに対する解説
を多用すれば「主張の内容に対する解説」などのような重要な解説を薄めてし
まいます。

>> 前例を見てない読者も対象にしないのでしょうか?

>  しません。

>  その人は、じきに見るようになるでしょう。そうなれば、前例
> を見てない読者ではなくなります。

「じきに」ってのは、どの程度のタイムスパンでしょう?

>  また、fj の歩き方などにもある話ですが、特定の NewsGroup
> に関心を抱いたときは、しばらくその NewsGroup を眺めていたり、
> 過去の記事を読んだりすることが期待されています。これは別に
> NewsGroup に限らず一般的なコミュニティに興味を抱いたときの
> 行動として期待されるものですから、それができる人なら問題は
> ありません。

そういうのは、特定個人の表現と意図の相関を見いだすために奨励されてるわ
けではありません。
何を書いたらどのようにまずいのかを判断する材料を蓄積することが求められ
ているだけです。

>>>>>> # なおかつ、それに対する反応で、元記事投稿者がどの程度のことを考えてる
>>>>>> # かをある程度推測できる。
>>>> 
>>>>>  ここは、パーフェクトに感性の問題です。
>>>>>  実際問題、私は「ということにしたいのですね」というフ
>>>>> レーズへの対応で、元記事投稿者がどの程度のことを考えて
>>>>> るかをある程度推測できます。
>>>> 
>>>> この辺は、「ということにしたいのですね」と同様の効果があると言いたかっ
>>>> たんです。
>>>> 同様の効果があって、かつ、誤解されにくい。
>> 
>>>  それは、KOSAKA 氏の感性に基づく評価ですね。
>>>  私は、そうは感じないということです。
>> 
>> どの部分がどう違うと感じているんでしょう?

>  「パーフェクトに」と述べている通り、部分の問題ではありま
> せん。どう違うについては、「実際問題〜」のパラグラフで述べ
> た通りです。

そのパラグラフで述べられていることは、私の記述と何も食い違っていません。
ですから、どう違うと考えてるのか分かりません。

>>>> # でも、相手の反応待ちってことは、やはり、「相手にしてる」と見られても
>>>> # しょうがないかな。
>>>> # 「相手にしてない」ってのなら、元記事投稿者から主張を引出すような目的
>>>> # で記事書いちゃいかんよな。
>> 
>>>  「相手にしてる」の意味が、またずれてきているようですね。
>> 
>> 元記事投稿者から主張を引出すような目的で書かれた記事は、議論の範疇には
>> 入らないという主張でしょうか?

>  違います。

では、ずれてませんね。

>  そういう目的で馬鹿の記事にフォローをつけたりは、私はしな
> いということです。

論拠を引出したり、論拠の有無を引出したりするのは、主張を引出すことには
ならないという主張でしょうか?

それとも、「ということにしたいのですね」というのは、論拠を引出したり、
論拠の有無を引出したりする目的ではないということでしょうか?

それとも、馬鹿の記事に対するフォローアップに「ということにしたいのです
ね」を使わないということでしょうか。

# 残る可能性は、記事の目的と記事の部分の目的が違うってことぐらいだけど、
# その場合は、記事のその部分に関しては議論の範疇に入るはずだし。

>>>> フォローアップしてるというだけで「相手にしてる」と見られるのは、割と普
>>>> 通の話でしょう。
>> 
>>>  ここも、「相手にしてる」の意味が、またずれてきているため
>>> の脱線ですね。
>> 
>> いいえ。
>> 「フォローアップしている」というだけで「議論している」と勘違いされやす
>> いという意味です。
>> 特に、逐語的なフォローアップではなおさらです。

>  「いいえ」と言うなら、「相手にしている」の具体的な意味を述
> べて下さい。なお、最も尤度の高い「フォローアップしている」で
> あれば、ずれています。

この記述で最も尤度が高いのは「議論している」だと思うんですが違うんでしょ
うか?
# そうなるように記述したつもりだけど。

>>>> フォローアップして、かつ、「相手にしてる」と見られないようにするには、
>>>> よほどの工夫が必要です。
>>>> 
>>>> そして、どれだけ工夫してても、「ということにしたいのですね」などの元記
>>>> 事投稿者への確認と思われる表現があれば、「本音はそっちか」と思われてし
>>>> まうわけですね。
>> 
>>>  「思われてしまう」としても、そこには別に何の問題も無いの
>>> です。思うのは自由なのですから、それは私の感知するところで
>>> はありません。
>> 
>> そのように「思われてしまう」ということは、ちゃんとは理解されていないっ
>> てことですね。

>  「理解」という言葉を具体的にどのような意味で使っているのか
> は不明ですから答えようがありませんが、それがなんであろうと、
> 私の感知する所ではありません。

目的が理解されなくてもかまわないような記事を書くのはやめましょう。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK