福島氏はあいさつで、
  『安心できる優しい社会』
  『ともに生きられる社会』
  を掲げた社民党が存在し続けることが求められている」と述べ、
2003,12,13毎日新聞より。


《社民党の主張する官僚統制では国の保障など実現不可能》

社民党にはこの厳しい現実は見えないのか?
社民党は官僚統制で国の保障を実現しろと叫ぶ。
官僚統制では安心できる社会など実現不可能だ。

厚労省が年金改革案を発表している。

中途半端な負担で中途半端な保障しかできない。
これ以上は活力を奪って負担を上げられない限界だ。
負担が上げられなきゃ保障も中途半端だ。
保障はこれが限界なのだ。

年金暮らしできる層とできない層にハッキリ分かれている。

どこが安心できる社会か?
安心などできはしない。

消費税を上げ保障します?
活力を奪い蛸が自分の足を食うようなもんだ。
消費税を上げると言うことは景気を悪化させる原因を創ることだ。
不安はますます高くなる。

やさしい社会?
全くやさしくない。
年金暮らしできない層は重負担の中から過酷な貯蓄を強いられる。
なけ無しの給料から税金をホギ取られる。
どこがやさしいのか?

共に生きられる社会?

中堅以下は生きられやしないじゃないか。
生きられるのは富裕層だけだ。

このように社民党の主張する官僚統制では国の保障など実現不可能だ。


《社民党の主張ではなく、自由経済による活気こそが保障を提供する。》

仕事も、会社経営も、衣食住の保障もそうだった。
ソビエトや北を見るまでも無く、官僚統制では保障できなかった。
これらを保障できたのは、企業活動を活発にした自由経済だったのだ。
もちろんこれらの保障についても社民党(社会党)は『官僚統制で保障しろ』と主張
を繰り広げた。
老後の保障もおなじだ。

税金を強制的に取っていく官僚統制では限界がすぐ来る。
国民から無理やり『罰則を持って国家権力がむしりとる官僚統制』では保障などでき
ない。
社民党の言うように官僚が直接手出しするやりかたではだめだ。

国民のニーズに答えるべく日夜懸命の努力をし競争を繰り広げる自由経済の活力こそ
が保障をもたらすのだ。
国はこれによって起きるひずみを所得税などで調整していけばよい。

社民党の主張ではなく、自由経済による活気こそが保障を提供するのだ。