三流政治家曰く、<テロの脅迫に屈してはいけない>

なるほど、いい言葉だねえ。しかし、ションベン思想家やガッコのセンセイならばそ
れを言うだけで十分だろうが、こと、「政治家」(政治屋ではない)ならば果たして
軽軽しくこのような標語を語って済まされるものであろうか?

また、人は食するために生くるにあらず、生くるために食するなり、とも囁かれる。
この場合「生くる」は命を保持するという意味と同じであろう。「食する」はその手
段にすぎないという意味であろう。最近ほざかれた<テロの脅迫に屈してはならな
い>とか、<国力に応分の国際貢献を>とかの考えは一種の「生きる」ための手段あ
るいはそれにさえも満たないものであろう。

このような言葉に酔いしれた考えの下、今現在戦争中の危険区域に我が国民である自
衛隊を敢えて送り込もうとする態度は果たして真の「政治家」の態度と言えるであろ
うか。我が国民の誰かが命の危険にさらされ今まさに命を落とそうとしているわけで
もないのに、敢えて業火のなかのドングリを拾うかのように、さしたる意味のないこ
と、つまり、国益にもならないことに最も貴重な我が国民の命を容易く捧げてしまう
ような、そんな危険にさらす外交方策は真の「政治家」がとるものとは違うのではな
いか。真の「政治家」が採るべき方策は、<限りなく冷徹に>、自国民の身体・生命
や利益・財産すなわち国益を守ることの一点に尽きる。どう思うね?みなさんは。思
うに、三流政治家はこの厳しさに絶えられない存在である。別な見方をすれば、かか
る政治家を自国の政治家に選べない国民もまた三流なのである。

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新となりのケンちゃん