Re: 朝日新聞を攻撃する理由がよく分かりません。
青龍です。
"NAKAMOTO Tetsuya" <tetsuzou@pop02.odn.ne.jp> wrote in message news:bo5et5$oh$1@nwjp2.odn.ne.jp...
> 青龍さん wrote...
> Message-ID: <bo3h9g$feg$1@news511.nifty.com>
> > しかし、合併が彼ら(朝鮮人)の総意で行われたというのは史実
> > に反するでしょう。
>
> まず、当時の社会背景を考えれば国民の総意というものを議論すること
> は無意味でしょう。李朝末期のボロボロの政治に苦しんでいた朝鮮の民
> 衆にとって、日本と合併するということがどういうことであるか、理解
> することすら困難だったと思います。
確かに、非民主的な政体の下で、何を持って「総意」というかは難しい問題
です。しかし、そうであるならば、なおのこと、民主的基盤を持たない政府の
決定を安易に国民の総意と擬制することは避けるべきではないでしょうか。
特に、後述するようにその政府の決定に日本が軍事力を持って介入している
状態ではなおさらです。
このような誤った擬制を前提に併合を朝鮮人の責任とする論法を、武力
で介入して併合を決定させた日本が採ることは、道義的に見ても感心でき
ません。
> 当時の朝鮮では、儒教に固執する守旧派勢力と、朝鮮の改革を悲願とし
> た改革派勢力との間で激しい権力闘争がありました。後者の代表が孫秉
> 熙の率いる東学と李完用の率いる独立協会で、両者は1904年に親日派の
> 一進会を結成します。どのくらい親日派だったかというと、日露戦争で
> 孫秉熙の指示により 5万の兵士が日本とともに戦ったほどでした。
ここで気を付けなくてはならないのは、日本政府はその一進会の演説・集
会すら禁止したということです。一進会が求めていたのは日本との連邦化で
したが、日本政府の考えはこれと異なったため、その政治活動さえ日本政府
にとって邪魔となったのです。
また、日露戦争で日本とともに戦った兵士たちはその後ハーグ密使事件を
契機とした朝鮮軍の解体に反発し、反日義兵運動の担い手となっていくので
す。
つまり、中本さんが挙げた、親日派なるものは、一方は日本の考えと異な
るため政治活動を禁止され、もう一方は日本に対する反抗勢力となってい
ます。したがって、彼らの存在を理由に朝鮮人が併合を望んでいたと捉える
のは不適当でしょう。
> 結局、一進会を代表とする親日派改革勢力は最終的に 100万人を超える
> 膨大な規模となり、李完用が朝鮮国内の権力闘争に勝利、日韓併合を主
> 導することになったのはご存知の通りです。すなわち韓国の政権闘争を
> 制した勢力によって日韓併合は選択されたわけで、これを以って当時の
> 朝鮮の総意と見るのは適切だと思います。
この部分についても賛同は出来ません。
李完用を代表とする親日派が権力を獲得したのはまさに日本の軍事力を
背景にしてのことだからです。
具体的にいうと、1907年、総監府は内閣を総辞職させた上で、李完用と一
進会の連立内閣を組織させています。また、ハーグ密使事件を理由に李完用
は国王高宗を退位させていますが、これは伊藤博文による強い要求に基づい
て行われたものです。
このように、親日派の権力獲得、反対派の追放ともに日本政府がその権力
と軍事力を背景に行わせたものであり、これによって権力を獲得したものの行
動を朝鮮人の総意というのは、ソ連の傀儡政権樹立の手法と通じるものがあ
り、不適当だと思います。
また、この高宗退位及びその後に行われた第三次日韓協約の締結に憤激
した民衆はソウル市内で大規模抗議とデモを展開しています。このように、
権力者だけでなく、市民の中に日本のやり方に反発するものが多数いたこと
を忘れてはいけません。これは、前述した反日義兵運動が軍人だけでなく民
衆も巻き込んだ運動に発展していったことからもわかります。
> こちらこそ。お久しぶりです。
> ここ何ヶ月か諸々の事情でfjにほとんど投稿していなかったのですが、
> 青龍さんも久々みたいですね。
最近は、Yahoo!掲示板あたりをROMしてました。fjと比べてかなり活発
な論争が行われているみたいです(泥仕合にもなりやすいですが)。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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