! "<3f8fee7c$0$19844$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Fri, 17 Oct 2003 22:28:39 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

>>> 何度も繰り返しますが、私は状況を無視して無理矢理切り出された「消火」な
>>> んてものを非難してはおりません。「消火によって完結する行為全体」を非難
>>> しているわけです。従って、「消火」そのものの成功・失敗は関係無いと言っ
>>> て良いでしょう。
>> 
>> そういうことを、
>> 
0>> ! "<3e98deb9$1$3094$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>"
0>> !     Sun, 13 Apr 2003 12:51:58 +0900
0>> : たとえばね、
0>> : 「消火活動をする」というのはそれだけ見れば「良いこと」ですが、後から
0>> : 「消火活動をした本人が火を点けて回っていた」ことが明らかになったとした
0>> : ら、それでも最初の「消火活動をする」が「正しい」「問題ない」と言えるの
0>> : だろうか?ってことです。
>> 
>> から読みとれってのは不可能ですね。
>> どうみても、特定の状況下での「消火」の評価でしょ?
>> それを「消火」の有無で評価を変えないって言ってるわけでしょ?

> #また、都合良く前提をとっかえているみたいですね。^_^;

原点に立ち帰ってるだけですが。

> 1.「放火した」という前提のもとでは「消火」の有無で評価を変えないだろう
> 2.「放火していない」という前提のもとでは「消火」という*善意*の有無に
> よって評価は大きく変わるだろう
> 何か矛盾がありますか?

それは、何に対する評価ですか?

(い) 「本人が放火した」という特定の状況下での「消火」
(ろ) 一連の放火と消火を一つ行為とみなしたもの
(は) 行為者

頭に0をつけた引用部は(い)を題材にしてるようです。
1と2は(ろ)か(は)を題材にしてるように見えます。
それらの評価は別であってもおかしくないのに、wacky氏はいつも混同してる
ようです。

>>> んじゃ、消火活動空しく全焼した場合には「褒められてしかるべき」ではない
>>> のかね?
>> 
>> 目的としては、「人の生命・財産への被害を減少させる」ということで、これ
>> は客観的に分かることだし、「褒められてしかるべきこと」です。

> 自分で火をつけた家を消火したところで財産価値が上がることも減らないこと
> もあり得ないでしょう。

それは、火をつける前と比較してのことですね。
上記の(ろ)の評価ならそういうことが言えます。

が、私が評価してるのは(い)です。
既に燃えてる状態では、刻々と財産価値が減少中です。
それを食いとめるのが「消火」の目的ですね。

>> というわけで、おおざっぱに言って、「目的○、手段?、結果×」というとこ
>> ろでしょう。

> その「マルな目的」って何?

財産価値の減少を食いとめること。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
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