日本人も人間である以上、人間社会で生きなければならないことを否定する者はいな
いでありましょう。で、社会で生きるとは他との接触が当然に行われることを意味し
ている。この他との接触の中で自己の存在を認められることが社会で生きることの意
味であります。日本人と言えどもこのことを否定する者は居ないでありましょう。

ところで、日本人は謙虚だとか奥ゆかしいとか言われることがあるが、日本人は常に
自分を最後尾に置き自己の利益をみんなの中で主張することはないのでありましょう
か。そんな事はないでありましょう。日本人も人間である以上他の諸外国人と同様自
分の利益に最も関心があり、出来れば他をを出し抜いても先を行きたいと思うものな
のです。

しかし、日本人はそれを実現するプロセス上で外国人には理解不可能な奇妙且つ不可
解な行動を取る。まず、第一段で日本人はやせ我慢にも似た態度で自分のしたい事は
ふせる。悪く言えば隠しておく。人の行動を黙ってみている。大体の皆の様子がわ
かったところで第二段の行動に入る。すなわち、回りの大勢がほぼ決まったところで
大勢に「同化」しようとする。自分の元々の考えや利益と抵触することがあってもそ
うする。このときの態度は見る人が見れば<犬の尻尾振り>同然。大勢に「同化」す
ることは何か後先ご利益を受けるものであるかのように本質的な事だと考える。その
努力たるや考え方や姿かたちまで同じになろうとする。そして一応大勢に「同化」し
たことを確認する。この確認がなされたとき日本人は大勢は自己の存在価値と自己そ
のものの価値を認めたものであると誤解する。これは日本人の独特な感覚であって、
たとえば西洋諸国などは自分と全く同じようなものにはあまり興味を示すことはない
し、存在価値を認めることも無い。次の第三段で、とは言うものの自分にも考えや固
有の利益と言う者がある以上、嘘の態度を何時までも維持するわけにはいかない。
「同化」したこと、大勢に認められ、存在価値を認めらられたとの誤解のもと、それ
を頼りにようやく自己主張を始める。

言い方を変えよう、日本人は周りに同化すること、つまり同じであることで諸外国人
に自己の存在価値を認めてもらい自己そのものの価値をも認めてもらえると信じてい
るが、特に西洋人等は他と違うことつまり他との違いに於ける価値すなわち自己の固
有性の価値を主張し、認めてもらおうとする。従って日本人の思惑は時に大いに外れ
ることがあるのはむしろ当然であろう。

さて、当方が一見politicsには無関係な話と思えるような事を記述した理由は、この
ような「違い」を念頭において<政治>を考えるのでなければ妥当な見解も生まれに
くいのではないかと思ったからであります。

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おいらはMac@Individual.NET