先日の石原発言が今日のいまもニュースで取り上げられ、芸能リポーターまでがこ
ぞってアホー鳥になって<ずいぶな歪曲>という一種の自己陶酔演歌を歌ったり、キ
ツツキの真似事をやったり。こういう姿を見るにつけ、味噌糞かまわず国民に参政権
を与えた憲法の無責任さを嘆かないわけにはいかない。憲法自身の糾弾は少しずつに
して、今回はこのアホー鳥達のアホを次のようにして幾つか検証してみたい。

【問い】 石原発言について次のように評する馬鹿がいる。これを論評せよ


《馬鹿の言》
> 為政者がテロを容認するような発言をするべきでないことぐらい君のような知障以
外
> わかり切った話です。

> 例えば、自分と主義主張の違う人間がいてその人間がテロを受けたとしたら
> 「テロを受けて当然だ!ざまぁ見ろ!」なんて言わないだろ?「自分と主義主張は
> 違ってもテロはいかなる理由があるにせよ容認できない!」というのが理性のある
> 人間の立場。これを超えちゃ、イスラエルと同じになります。

> もし、石原氏が首相になったら左翼へのテロが誘発されるだろうし、それに対して
> 見て見ぬ振りをするだろうことが容易に想像できます。別に石原氏が手を下さなく
ても
> 石原氏が石原氏と主義主張の違う人間に対するテロに厳しくないとわかれば容易に
> 誘発される危険性があります。

> だから、為政者はいかなる理由があるにせよテロは否定しなくてはならないわけで
す。


《検証》
(1)まず前置き。以上の評論を取り上げた理由は今の日本国民の平均的な「馬鹿」
をこの駄文は如実に示してくれているし、「馬鹿」がかなり色濃く滲み出たものでも
あるから。

(2)まず、北朝鮮とのコソコソ恥さらし外交の中心的役割を果たした(一人しかい
ないからあったり前か)前代未聞のアホの外務省役人が爆弾テロの被害に合ったとの
報を聞く中どう思うかとのインタビューを受けた際、石原氏が「そんなことはあった
り前だよ」とただそれだけ答えたことが「爆弾テロ容認発言」になるかという端的な
『解釈』について。国の内外を問わず腹を立てた者あるいは自己の正当性を問わず憤
りを覚えた者が常軌を逸して爆弾攻撃をしかけるという事実(正確には事実の可能
性)はいくつかの例から見て否定できまい。国外に在っては彼の9.11事件、国内
に在っては新潟朝鮮総連系建物爆破事件等々。これが事実的前提。他方、彼の不埒な
外務省役人が誰一人として腹立ちや憤りを他に覚えさせないほどの立派な外交をやっ
た人物だとは豪も言えまい。むしろ新聞でも叩かれたように当時、多くの国民にこの
上ない憤りを覚えさせたのであった。

以上の大前提と小前提から彼の木っ端役人がそのあまりにもボンクラ腑抜けゆえの爆
弾攻撃の対象にされる可能性を断言することは少しも奇妙なことではなく、むしろ必
然性に近いと見る向きが在っておかしくはない。ボンクラ役人の異常性をどの程度の
ものと解するかにも因るが、これは事実的可能性の話。ゆえに、彼の役人を前代未聞
の不埒者と見る者からは爆弾攻撃にさらされることが起こりうるのは「あったり前」
であって、言葉遣いが間違ったわけでもなんでもない。そう見ないことのほうが推理
力の大いなる欠如を意味する。

何度も繰り返すが、これは事実的可能性の話であって、人的=主観的に石原氏自身が
彼の木っ端役人を自分の手を汚そうと汚すまいと爆弾テロの餌食にしようとするかど
うかとは全く別の話。で、アホー鳥やキツツキ君達はここで、石原氏は自ら爆弾仕掛
けてふっ飛ばしたいとか、あるいは誰かがふっ飛ばしてくれれば良いなあ、と思って
いたとか、ただ「そうしてしまいたい」だけに過ぎない。氏の発言の「そんなことは
あったり前」だけからこのような主観を見て取ることは不可能。言葉遣いからもその
ように採るのは明らかに誤り。なんとなれば「あったり前」の主語は「そんなこと」
だから。主観=「容認」を見て取るには飛躍がある。要するに石原氏への批判は事実
の捏造と独善的解釈とゲスな日本人の演歌=浪花節以外の何物でもない。

(3)> 例えば、自分と主義主張の違う人間がいてその人間がテロを受けたとしたら
> 「テロを受けて当然だ!ざまぁ見ろ!」なんて言わないだろ?「自分と主義主張は
> 違ってもテロはいかなる理由があるにせよ容認できない!」というのが理性のある
> 人間の立場。これを超えちゃ、イスラエルと同じになります。

例えとしてあげた例が「事実」ならその語りには幾ばくかの意義があるといえよう。
で、この「テロを受けて当然だ、ざまぁ見ろ」って誰が言ったんですか?GONに代表
されるアホな国民が言ったんじゃないの?ならばこのようなアホな国民に向けてア
ホー鳥は囀るべきでしょうし、また、こういうアホにこそキツツキが嘴を向けるべき
ではないの?これは「あったり前」の話。石原氏は「テロを受けて当然だ」とも「ざ
まぁ見ろ」とも言ってない。このように実際に存在しない100パーセント仮定ある
いは例えで論を進めることは「事実的基礎」=「実体」を伴わないが故にいくらだっ
て評価が膨らみ「妄想」へと繋がる。『解釈』は「事実的基礎」を必ず踏まえた上で
の評価でなければならない。これは常識です。

(3)> もし、石原氏が首相になったら左翼へのテロが誘発されるだろうし、それに
対して
> 見て見ぬ振りをするだろうことが容易に想像できます。別に石原氏が手を下さなく
ても
> 石原氏が石原氏と主義主張の違う人間に対するテロに厳しくないとわかれば容易に
> 誘発される危険性があります

これも「実体」を持たない論じ方です。そんなこんなで他を「評価」するとはおこが
ましいも程がある。要するに「妄想」。こんなこと語って何かまともに評価ができて
いると思ってるんですかね。

(4)そうして厚顔にも結論としゃれ込む。

> だから、為政者はいかなる理由があるにせよテロは否定しなくてはならないわけで
す。

こんなのは「結論」にもならない。独り善がりのまとめ言葉。「妄想」の延長ね。コ
ケ
オドシがニュースグループで堂々とまかり通っているとは。なさけなや、ああなさけ
なや。GONはこのようにアホ国民の単なる一人に過ぎません。嘗て、このような国民
郡を<抽象的国民>と称し、実はこのような<抽象的国民>こそが批判の血祭りにあ
げられなければならない、と言った者が居りました。KENTAROU氏であります。当方は
今このことに改めて賛同したいと思います。

--
おいらはMac@Individual.NET