サブジェクトにした「責難は成事にあらず」ってのは、「人を責め、非難する
ことは何かを成すことではない」という程度の意味です。
誤りを指摘するだけで、具体的にどこがどのように誤りで、どういう方向で解
決すればいいのかを言わないってのは、非常に簡単なことですが、それは「何
かを成す」ことじゃないんですね。

ということを書くと、wacky氏のことだから、「そりゃ、あんたの方だ」と自
分から目を逸らそうとするかもしれませんが、それって、wacky氏の言うとこ
ろの「自己棚上げ」ですよね。
wacky氏は「全体として誤り」であることが指摘できれば充分だと主張してま
すが、それは「責難」そのものです。そこを正さずに他人の「責難」を非難す
るのは、wacky氏的に間違った行動なわけです。

で、どういう方向で解決するのが妥当かというと、
・「責難は成事にあらず」を否定する
・全体の誤りのみを指摘して部分を省みないことが「責難」に相当しないこと
  を説明する
・全体の誤りのみを指摘して部分を省みないことが誤りだと認めて撤回する
のどれかぐらいじゃないですか?

! "<3f50d465$0$267$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 31 Aug 2003 01:44:04 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bipqqa$hlq$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> どう評価しようがかまいませんが、具体的にどの部分がどのように誤りでどう
>> 正せばいいのかを指摘しない限り、単にマイナスイメージのレッテルを張った
>> だけにしかなりません。

> それを言いたかったのであれば「それが何?」なんて言わんでしょう。

なぜ?

> 勿論、「泥棒」は行為ですし、「盗む」という単独の行為について「その行為
> を取り巻く状況等の全体を考慮した評価」を指して「全体への評価」と言って
> います。これはKGK氏が行っている「行為そのもの以外を一切切り捨てた評価
> →部分的評価」と対を成すものです。

部分的評価は「行為そのもの以外を一切切り捨てた評価」ではありません。
その部分の評価に影響するもののみを取り入れた評価です。
そういう評価をするのに有効な手法が、styleの方でもやってるような、「他
のパラメータを変えず、その部分だけを変化させて評価する」というやつです。

状況のよさをいくつかのパラメータの関数として F(x, y, z) とでも書いたと
きに、
Fx(x, y, x) = F(x, y, z) - F(0, y, z)
とでも定義して、Fx(x, y, z) > 0 なら、x はよいことだと評価するわけ。
# もちろん、具体的な数字になるわけじゃなくって、概念的な話。
# さらに、「程度」を考えるとややこしくなるから、とりあえずは0/1で考え
# てる。

で、「たとえ、泥棒を行なうという状況の下であっても、三分の理が悪いわけ
じゃない」と評価したりするわけです。

> 繰り返しになりますが、評価の対象となる行為について、その行為を行うにあ
> たって前提となる行為があったとしても、それを「行為を組み合わせた」と詰
> るのは誤りでしょう。全体となった行為があったとしても、それは「その行為
> を取り巻く状況等」の一部でしかないのだから。

その状況のなかで、対象となる行為の評価に関係しないものを混ぜても意味な
いでしょう。
関係する/しないを判断するのに有効な手法は、前述のやつの延長ですね。
Fx(x, y, z) が y によって変化しないなら、y は x の評価に関係しないわけ
です。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK