「定義至上主義」論者には答えにくい事例問題(付: 概念法学よ、sayonara)
"SUZUKI Wataru" <omegafactor@anet.ne.jp> wrote in message
news:3f57455a.5458%omegafactor@anet.ne.jp...
> At Fri, 08 Nov 2002 23:47:02 +0900,
> in the message, <3dcbce66.2274%omegafactor@anet.ne.jp>,
> |>例えば昭和34年1月8日最高裁判決、民集13巻1号p1なんど。
> |
> |謝謝。
> |確認は後日。
>
> --
> SUZUKI Wataru
> mailto:omegafactor@anet.ne.jp
「定義は何故必要か」というささやかな疑問に思いを致すことも無く、ボ
ンクラ教授が「司法試験なんて大して難しいものではない、定義をしっ
かり覚えて教科書に書いてある程度の論理を身に付け、判例解説書を
読むなど、教科書からちょっとだけ出ればいいんだ」とか言ったとか言
わないとかの言を真に受け、やたら「定義」「定義」とひっきりなしに繰り
返し、あたかもウソでもいいから兎に角書いてある「定義」を<丸暗記>
するのが法学(法解釈)だ、みたいに考えている人もいる。これに近い
考えの持ち主の一人は佐々木将人氏であろう。
当方に言わしむれば「定義」が必要だとされるその趣旨は、或る物事を
論じたりある事柄を説得するには必ず<相手>がいるはずであって、
この者に「趣旨」を伝えないことには話にならないから、それには論ずる
にあたり、指し示す前提に一致を見る必要がある。すなわち<前提の
共通認識>がなければならないというただそれだけのこと。だとすれば、
言葉=概念に纏め上げられないにせよ、議論当事者の間に何を今問
題にし、どう言うことを指し示しているかという実体上の一致を見て取れ
れば議論に支障は生じない筈である。よって既にこの限りで「定義」は
不要。
法解釈はあくまでも法解釈であって、定義を明らかにするのが目的で
はない。法解釈の目的はあくまでも具体的に提起された具体的問題の
より妥当な解決にある。(この点に関し、議論一般に議論のための議
論以上の目的等無い、とか言う者がいるが馬鹿げた見解である)この
「問題解決性」と言うことをこれまで軽視していた嫌いがあった。ために
実体で担保されない一人歩きの「考え」をなにか一般的言葉で整理し
纏め上げることが法学の目的だ、みたいに思われて今日に至ってい
る。これがまた「概念法学」を助長させる原因にもなった。
そもそも、正しい完全な「定義」など将来起こり来る全ての具体に目を
とおさずして固めきれるものではない。そこには既に「定義」を立てた
その傍から「嘘」を多かれ少なかれ内包しつつあったと言ってよい。法
学が法をいじくる者の為の物であればその程度の「嘘」は許されてよい
であろうがしかし、法学がその適用に晒される者のために有るとする
立場からはそのような「嘘」を看過するわけにはいかない。法学は「定
義」として纏め上げることよりも「嘘」を語り謂れ無き不利益をもたらす
ことを回避する事にこそ注意が払われなければならない。
かくして、我々の法学は、<問題解決思考>でなければならず、また、
<利益考量論>でなければならず、それは、結局、<「概念法学」の
終焉>を意味する。
さらに、法学は<説明すること自体だけ>ではなんら意味が無いので
あって、<価値実現に向けられた説得>がなされて始めて意味がある。
従って<結果の妥当性>は本質的に法学の内容をなす。また、そのこ
とから法学は価値実現に向けられた「実践理論」であり、単なる「認識」
の域に留まるものではない。特に、解釈論は実用法学として位置付け
られるべきものであります。繰り返すことになるが、法解釈は少なくとも
<概念の捏造とそれを使っての論理性をひけらかす学問>
ではない。
ニュースグループにおける議論について一言すると、「誰それはこう言
ってた」、は止めましょう。それをも踏まえての自分の見解はgainennどうかを
語ろう。ニュースグループは受験勉強の場でもない以上、「嘘」でもしょ
うがないなどの邪な(?)配慮は不要。また実務でどう扱われるかに縛
られる必要も無い。一般国民の側から見ての在るべき法の模索という
一点にのみ耳を傾け凝視すれば良い。
当方は、以下にSUZUKI Wataru氏ご紹介の事例に対する当方の結論
と理由を添えましたが、その意図はSUZUKI Wataru氏の言い出しっぺ
としての氏の「概念法学」からの論述を期待するにあります。他者の論
じ方如何は結構ですので氏の氏による氏のみの見解を期待するもの
であります。
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【 事例 】
> SUZUKI Wataru <omegafactor@anet.ne.jp> wrote
> えー今更ですが、判明したので。
>
> 最判平成6年2月8日。
> 他人の土地上にある建物について相続により所有権を取得し第三者に譲渡した
> が相続による所有権移転登記のみを行い譲渡についての登記をしないでいた被
> 告に対して、当該建物の存する土地の競落人が、被告人が登記名義人であるこ
> とを理由に所有権に基づく建物収去土地明渡し請求を行った事例で、被告側の
> 所有権喪失の抗弁を認めなかったもの。
【当方の結論 】
被告人の所有権喪失の抗弁は認められない。
【 当方の理由 】
(1)まず、競落人は何を侵害されていると主張するのであろうか。これ
を問題にするところから始めよう。被告人は被相続人が土地の所有者
に対して持っていた借地権者の地位をそのまま承継するからこの段階
では何も侵害したことにはならない(借地借家10条1項)。
土地所有者の立場を侵害する可能性が出てくるのは、借地借家19条
1項に言う建物の譲り渡しによりこの事例のように被告人が建物と同
時に借地権を譲渡した場合で、且つ借地権設定者=土地所有者が借
地権の譲渡転貸を承諾しない場合、且つ借地権者が建物譲り渡しに
際し裁判所に借地権設定者の承諾に変わる許可を申し立てそれが認
められなかった場合であろう。裁判所が許可を与えた場合は問題にな
らないから以下それが無いままで且つ借地権の譲渡を土地所有者が
認めなかったものとして話を進めることにします。
ただし、このような設定で進めることはいかにも不自然。原則は被告人
は投下資本の回収を図らなければならず、第三者に譲渡できるとする
のが事案不明な場合の捉え方としては自然。
(2)次に、土地譲受人=競落人の建物収去土地明渡請求は正当なも
のかについて。この場合は当該土地譲受人(=競落人)は登記を取得
しているかどうかは不明。もし、競落人が登記を取得せずとも被告人に
建物収去土地明渡請求ができるとするためには土地の元所有者が建
物の元の所有者=被告人に対して建物収去土地明の請求が出来なけ
ればならない(民法423条)。
既に見たように被告人の第三者に対する建物付き借地権の譲渡は認
められないのだから借地権設定者は被告人が建物付き借地権を譲渡
したことを無視できるだけでなく借地権は以後消滅するから土地所有
者は被告人に建物収去土地明渡を主張できる立場にある。よって土
地所有者から有効に取得した競落人は「対抗要件」を具備せずとも同
様の権利を主張できることになる(民法423条、177条)。
設例では被告人が登記名義人であることを理由に競落人が所有権に
基づく建物収去土地明渡しの請求を行ったとあるが、競落人は早晩建
物譲受人か被告人には建物収去土地明渡しを請求出来るのであって、
この場合、被告人が未だ登記名義人でありそれ故に被告人に対して
請求できるとの考えは、競落人は請求相手を建物譲受人にするか被
告人にするかを迷うことがない、という競落人の利益を認めることを意
図するものである。次に述べるように被告人にことさらの不利益が無
い以上この主張は認められてよい。
しかし、この場合は民法177条に言う「対抗問題」ではない(民法177
条の拡張解釈)。177条に言う「対抗問題」とは、物権を取得した自己
の利益を「第三者」に主張するためには自己は「対抗要件」を具備する
必要がある、とするものであって、この事例の場合は、自己への物権
変動上の利益を主張するのに相手に「対抗要件」が存することを主張
するものだからであります。
(3)被告人の立場から眺めてみよう。被告人にしてみれば実際は自分
は既に義務者では無くなっているのだから権利者=競落人から追及さ
れることはないという抗弁=利益が認められてよいと一応は言えるであ
りましょう。しかし、被告人は建物譲受人あるいは借地権設定者に対し
ては既に契約関係から生ずる義務を負っている。契約不履行による損
害賠償も然り。早晩被告人は建物譲受人(損害賠償)か借地権設定者
あるいは競落人には義務を果たすべき立場にある。かかる時、自分は
建物譲受人には義務を負うが借地権設定者あるいは競落人には負わ
ないとの「抗弁」による利益というものを考慮する必要があるだろうか。
競落人が真実の権利者ではないかもしれないとの危惧ないし不利益も
考慮に入れなければならないとしても、この場合は「債権の準占有者へ
の弁済の法理」(民法478)によって保護されるし、また、問題は競落人
の立場をも考慮に入れなければならない点にある。結局は、責任追及
を誰にするかを迷うことが無い、という競落人の利益と、もはや自分は
義務者ではなくなっているのに責任を追及されては困るという被告人の
利益とを比較考量し、移転登記を怠った被告人よりも競落人の利益を
より重しと考え、被告人には「抗弁」の利益を認めないと解すべきであ
る。
以上が当方の考えですが自信満々のSUZUKI Wataruさんの見解を拝
聴したいところです。しかも、あの「概念法学」ってやつをです。何度も
言いますが他人の評価は結構ですので、ただただご自分はどう考える
かを語って頂きたいと思うわけです。中身が無いのに文章だけかっこ
つけて誤魔化すようなことも無しです。要するに余計なことは一切無し
ってことです。「概念法学」の真骨頂といつもの鼻っぱしの強さのにじみ
出た見解が聞けたらいいですね。いつも自慢げに他人を見下す論者
の見解は如何に!?
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おいらはマック@Individual.net
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