In article <bhl3jl$cj7$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>>  そして、一般論をどう表現していようと、具体的な実施基準が提示
>> されていない場合は、発言の出てきた文脈における事例が想定されて
>> いると考えるのが筋でしょう。
>
>という考え方もあるんですが、「fj.news.usageというメタなグループへ振っ
>た以上、メタな話題として捉えた方がいいだろう」という考え方もあります。
>まあ、議論しながらすりあわせりゃいいことですが。

 そういう考え方は、メタというものの価値を捉え損ねたものでしょう。
そもそもメタな議論は、事例を一般化し普遍化することに価値があるの
ですから、事例の上に存在するのでなければ単なる空論になってしまい
ます。

 従って、メタな議論をしようとしたのだとしても、空論を弄びたいの
でないならば、その具体的な事例は文脈における事例しか選択肢は無い
のです。

# まあ、空論を弄びたいならそれはそれで別の世界の話なのですが。

>>  で、ここで問題になるのは「何の程度か?」で、KOSAKA 氏が挙げた
>> 以外にも直接的なパラメータがあります。「リアクションに対する、
>> 購読者の関心」です。
>
>>  関心が強ければ、Followup-To:を見て、その NewsGroup を購読する
>> でしょうし、対してなければほったらかすでしょうから。
>
>ただ、そこでの議論を読んでた人を引き連れなきゃいけないわけじゃないです
>からねえ。
>「話題による区分」という原則からすれば、考えなくてもいいはずのことです。
># まあ、多少は考えるのが普通ですが。

 そうですね。まあ、これもまさに程度問題。

# こういう話の基準は、センスなり感覚ですから、多数決がモノを言う。

>>  私が見るに、KOSAKA 氏が挙げた話の「程度」とは、「話題が反れた
>> 状態でポストされる記事数」だと思います。
>
>と、反れ具合ですね。
>それも、「議論したいのか単なるチャチャか」という軸と、「そのグループか
>らどの程度反れてるか」という軸と両方。

 なるほど。その点は同意。

>で、「適切なタイミングでグループ移動しろよ」ってのは、よく言われてるこ
>とですが、それは義務って話だけじゃなくって権利でもあるんですよね。
>グループを移動するってことは、「自分はこういう議論をしようとしてる」と
>いう意思表示の一部になる。
>使わなきゃ損です。
># それが下手な人は、大抵は論点の明示も下手。

 ここも同感。

 ちなみに、論点明示というパーシャルな話ではなくして、そもそも議論
が下手というか「議論とは何をすることなのか」を知らない人がけっこう
いるということを最近感じます。

# 馬鹿に限らず。

# そういうことを感じている所でもって小室直樹なんか読むと、教育が悪
# いなあと更に思ったり。

>これは、グループの移動だけじゃなくて、サブジェクトの変更や新規に投稿す
>るグループの選択にも言えることです。
>やたらとクロスポストしといてフォローアップ先の指示もしない人ってのは、
>「主題も論点も絞れてない、単なるお喋り」をしようとしてると言ってるよう
>なもの。
>「単なるお喋り」が悪いとはいいませんが、それを「議論してる」と言いはる
>のはみっともない。

 ですね。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp