共産党、綱領を変えたところで退潮は止まらない。


共産党の間違いは綱領ではないのだ。
したがって綱領をいかに変えても退潮は止まらない。

共産党の間違いは基本理念にある。
主義主張そのものが誤っている。
社会主義、共産主義という主義主張の原理原則そのものが間違っているのだ。

魚屋が腐った魚をいかに上手に料理しようとも客は買わない。
メニューをいくらいじろうが元が腐っていてはどうにもおならない。
それと同じだ。

共産党の主張はそれ自体が間違っているのだ。
魚が腐っていると同じことだ。

したがっていくら綱領を変えようが退潮は止まらない。



社会主義、共産主義というのは
『本来個人の責任であるべきものを社会化しよう』と言う運動だ。
個人の責任のところをみんなや社会が連帯して支え社会の責任にする。
社会の統合組織である国が行政を総動員して責任を持つ。

経済面では本来私的な経営責任を社会化し国有化していく。
倒産や失業をなくし安心して働けるようする。
個人の利益追求ではなく社会奉仕中心に活用する。
労働者は個人的経営者から搾取されなくなり自由になると言うのがふれこみだ。
ベトナムでは革命成功後、屋台の親父やストリップの女性まで公務員にした。
これにより確かに安心して働けるようになった。
倒産もない。

民生面でも本来私的な責任を社会化し国の責任にする。
国の保障で安心してくらせるようする。
国が家族の代わりだ。
年金も責任持ってくれるし、老人医療や介護も安心だ。
どんな孝行息子だってこうはできない。

これにより国民は安心して暮らせるようになっている。

これは個人の責任を社会化することにより得られている。
このような考えそのものが間違っているのだ。

経済面でも民生面でも個人の責任を社会化すべきではないのだ。
個人の責任の社会は間違っているのだ。
社会主義は間違いなのだ。



たとえば経済面の社会化。

実際やってみると、個人に責任がないから赤字は雪だるま状態になる。
どうしても経営が甘くなる。
社会化したままではいかなる改革も成功しない。
世界中で国有企業の民営化がなされている。
この流れはもう止まらない。

経営権を社会化する事は間違いだとわかった。
経済面では既に社会主義は間違いだと結論が出た。



民生面でも本来個人の責任を社会化する事は間違いだと結論が出つつある。
個人の責任を社会化すると国の保障で安心して暮らせるようなる。

老後の保障制度がそうだ。
これにより国から公的年金が保障され老人医療で安心だ。
介護もホテル並みの施設があり、献金の掛け金や医療保険に加入できない人でも生活
保護制度で安心だ。

ところが国民は後継者育成努力を全くしなくなる。
後継者育成を必死でしない制度が維持できるはずがない。

今まさにこの社会主義の根本的欠陥に対する結論が出つつある。
民生面でもやはり個人の責任を社会化すべきではない。
国の保障で安心して暮らせる社会は維持できない。
と判りつつあるのだ。
民生面において、みんなや社会で助け合う制度は親戚間や近所のコミュニティ、NP
O、NGOのように民間主導で自発的なものでなくてはならない。
あくまでも責任は個人にあるべきなのだ。

社会の責任にしてはならない。
行政の責任にしてはならない。
民生面では、福祉国家という民生面社会主義国の世界的大社会実験で、これが今まさ
に結論付けられようとしている。



共産党の退潮現象は単なる運動方針などではないのだ。
根本的理恵論に齟齬がある。

社会主義の本質である『個人的責任を社会化する運動』そのものが間違っているの
だ。
いまやいかに国にもたれかかった意識を早く払拭するかに国の再生がかかっている状
態になりつつある。
社会主義という間違った主義主張をいかに早く払拭できるかだ。

共産党が当綱領をいかに改革したころで退潮にはどめなどかかるはずがない。
共産党、綱領を変えたところで退潮は止まらない。
判りきったことですね。