《負担を挙げる政策を実施しても、『家族は必要』と言う証明にしかならない。》
《負担を挙げる政策を実施しても、『家族は必要』と言う証明にしかならない。》
今現在の負担を挙げて行っても、限度になれば後は年金の額を下げるしかありません。
どんどん金額は下がり、やがて家族の支援なしには不安になっていくでしょう。
分かりきったことですね。
もちろんまだ金額は下がります。
ここで厚労省はためた貯蓄をつぎ込むと主張するわけです。
これはとんでもない机上の空論です。
年金の額が下がっていき、やがて家族の必要性を感じる国民が多くなっていきます。
国の保障で不安になれば、国民は『家族の支援が必要』とはっきり分かります。
そうなると多くの国民は子育てに必死で取り組むようになるでしょう。
そうなって初めて、少子化も解消し、その時点の金額が維持できるのです。
(子供達が成人するのを待たず、出生率が上がれば景気は良くなる。)
つまり、『家族も何も必要ない』政策を実施したつもりが、やがて『家族は必要だ』と感じざるを得ない状態になるわけです。
このように、『負担を挙げる』という大実験は『家族の援助というものは欠かせないものだ』と証明したに過ぎません。
元の木阿弥の結果でしかないということです。
厚労省の主張するように『家族も、誰にも頼らず、独立して暮らせるようにする』などという計画が間違っているのです。
後継者育成に必死で取り組まなくても良い制度など維持できるはずもありません。
厚労省の政策はこう言う当たり前のことを証明しただけです。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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