《野放しの自由を求めるマスコミや新聞。国民がチェックできない聖域などあって良いはずがない。》

《報道の自由とは野放しの自由ではない。》

近代国家において、報道の自由が保証されることは当たり前だ。

近代国家が正しく発展する上で欠かせない要素のひとつだ。
これが侵害され制限されるようなことは決してあってはならない。
報道の自由の危機はそれこそ国家国民の危機だ。

しかし、報道の自由といっても誰も野放しの自由は望まない。

報道の自由と野放しの自由とはまったく別のものだ。
報道の自由とは野放しの自由ではない。

公序良俗を守り、個人に損害を与えない範囲、国家に損害を与えない範囲でなければいけないことは当たり前だ。