《ドイツ国民は自国の言い分を決して曲げない。》

 

ドイツを見よ。

ドイツ国民はナチスを日本で言うオームのように毛嫌いしている。

ナチスのやった国家による民族殲滅計画という大犯罪については謝罪している。

しかし。

ドイツ国民は戦争に至った過程については決して自国の言い分を無視しない。

ドイツ国民は日本のマスコミ新聞のように自国の言い分を決して無視していない。



いかに戦勝国から侵略者の汚名を着せられようと自国の新聞だけは自国に味方した主張をする。

ドイツはナチスについては謝罪しているが、戦争にいたった過程については決して謝罪などしない。

『それについては双方責任がある』という主張だ。

『いかに大被害を出した』と世界からいわれようが、『それは双方に責任がある』と主張し、決して謝罪など国に求めはしない。

 

ドイツ政府は戦勝国により有無を言わせず裁判に引きずり出され裁かれた。

が、『それは敗戦し強制的に一方的な裁判をされたから』であって『平時ならありえない裁判』という認識だからだ。

 

いまや平時だ。

戦勝国裁判ではない。
自国の言い分は大いに主張できる。

だったら自国の言い分を主張して当たり前だ。

 

自国が戦勝国裁判で封印された『言いたい言い分は』主張して当たりまえだ。

 

喧嘩をするに至るには双方言い分があるのだ。

自国の言い分を戦勝j国のやる裁判でもないのに自国の新聞が強要してどうするか。

飼い犬に手をかまれたようなもんだ。

 

どうかしている。

こんな新聞はないだろう。

 

自由を完全に履き違えている。
国を売って平気なマスコミ、新聞。

国民を売って平気なマスコミ、新聞。

 

全く非常識だ。

世界の非常識だ。

世界のどこの国もやらない非常識だ。
愚直も愚直お話にならない愚直だ。



彼らに自己改革は無理だ。

マスコミ基本法を創り正しい新聞のあり方を示さないからだ。

マスコミ基本法を制定せよ。

 

 

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