《福祉大国は崩壊した》

 

『重負担国家を目指しません』としたとき国家哲学は明確に変更された。
厚労省の目指してきた福祉大国路線はすでに崩壊している。

 

1989年にはソビエトが崩壊したし、スエーデンの年金制度も行き詰りが伝えられていた。

スエーデンなど国民負担率が75%という高率に達し、国民は重負担にあえぎ年金制度は崩壊寸前になっていた。
この様子を見て、日本も『重負担国家を目指すべきではない。』と言うことになったわけだ。

『福祉大国をめざす』『理想的な国の保障』『国の理想的な保障で安心できる老後の暮らし』

と言っていたのを、方針変更せざるを得なくなったのだ。

このとき重負担による理想的な福祉大国路線を放棄することになった。

 

『福祉国大国といっても、重負担は目指しません。』

『重負担できないのだから、理想的な保証は提供できません。』

と言うことがハッキリした。


『保障は限定したものしか提供できない』と言うことになった。
『何の心配も無くらくらくと安心して老後が暮らせる』と言う夢の理想国家像はこの時点で微塵と砕け散った。

国家哲学は明確に変更された。



つまり、ここで福祉大国は崩壊したわけだ。

 

 

《国民は一斉に貯金に走る。》

 

国が安心できる老後の保障を保障してくれる福祉大国が崩壊した影響は大きい。

 

中途半端な負担では中途半端な保障しか得られない。

当たり前だ。

 

『退職時の給料の60%以上が保証される』と思っていた国民はここに来て『そのようにはできない』と言う現実がわかってきたわけだ。

 

実際に、その後保障水準は改定するたびに下がっている。
退職時の給料の62%のはずだったものが、59%になり最近では50%のまで下がった。
それも退職時給料など参考にするのではなく、現役世代がもらう給料の50%と言うことになっている。



金額にすると、平均20万程度と言うことになった。
平均20万程度?
それも会社員だけだ。
自営業者だって満額でも夫婦で13万4千円しかない。

話が違うなんてもんじゃない。
国民は完全に当てが外れてしまっている。
お話にならない制度になっている。 

 

これじゃ中堅以下の会社員や自営業者は暮らせない。
貯金しないでも国から保護され悠々と理想的な年金暮らしできるのは一部の富裕会社員だけだ。
福祉国家を享受できるのは一部の富裕会社員だけとなってしまっている。

それ以外のほとんどの国民は年金だけだと不安で貯金に走らざを得なくなる。

重負担の中からさらに貯金するという非常に過酷な努力を求められる。
平均20万円の年金しかないのだ。

悠々と年金で暮らせる一部の富裕会社員など以外は貯金しないとどうにもならないわけだ。


計画当初の“能書き”と比べ全く話が違ってきている。



しかも支給年齢が引き上げられ、65歳支給になった。

運良く60歳まで働けたとしてまだ5年もある。

この間も貯金なくして生きられない。

これじゃ、必死で貯金しないと老後は暮らせない。 

福祉大国の崩壊は国民を貯蓄に走らせることになってしまっている。
余裕があれば貯蓄を必死にしないといけないのだ。
何しろ老後の命がかかっている。
必死だ。
必死に貯蓄に走る。

したがって消費はなかなか回復しないことになる。