《社会福祉制度はだめだ。基本的にだめだ。なぜ? 社会主義制度だからだめなのだ。》



《社会主義だからだめ》
「福祉大国」「共生の社会」 「両親は社会で支えましょう。」これらは、言い方を変えているが「国の保障で安心できる社会」
という、イデオロギーを実践した社会主義だ。 だからだめなのだ。 社会主義だからだめなのだ。 なぜ社会主義ではだめなのか?



《社会主義は個人の責任を回避し、無責任になるからダメ》

年老いた両親の保護を誰がするか?

「すべての年老いた国民は国で保護する」とするのが社会主義だ。

「国の保障で安心して暮らせる社会」「福祉大国」 これらは個人の責任を回避した社会主義を実現しようとするスローガンだ。

本来、企業経営と同様に個人の責任であるものを回避し、「国の責任、社会の責任」にした。

だからダメなのだ。
社会主義はだめ。

個人の責任を回避し、個人の責任が確立せず無責任になるからダメなのだ。



《個人の責任を回避した結果、無責任のオンパレードになる。》

「老親の保護はみんなでしよう」「社会でしよう」最近では「みんなで支え合う共生の社会を建設しよう」など、社会主義者はスローガンつくりがうまい。

浸透しやすいスローガンを掲げ、本来個人の責任であるものを「国の責任、社会の責任」にするのが社会主義だ。

社会主義者はこれをして「個人の責任を“解放”し自由になった」と表現する。 「真の自由を得た」「自由とはこれをいう」などと、口角泡を飛ばして力説
する。何が自由なもんか。個人の責任を回避し無責任にしただけだ。本来、個人の責任であるものを「みんなの責任」「社会の責任」「国の責任」と言い換
え、個人の責任をなくし、無責任にしてしまった。

企業経営でもそうだが、個人の責任を回避し「国の責任、社会の責任」にしたら、結果は無責任のオンパレードになる。 社会主義特有の無責任で、企業は大
赤字だ。社会制度なら無責任が蔓延し、根底からずぶずぶに腐り、崩れ去る。だから社会主義はだめなのだ。 社会主義は個人の責任を回避し、責任が確立せ
ず、無責任になるからだめなのだ。



《社会主義は家族や法的保護責任者の保護責任には一切触れない》

 「社会で両親を保護しよう」 社会主義は家族や法的保護責任者の保護責任には一切触れない。マスコミに見る社会主義者達は、10年一日にごとく、言い
方を少しずつ変え、社会主義の理想を説いている。この、法的保護責任者の責任を回避した無責任な社会主義が、いかに社会を膿み腐らせているか?西欧社民
主義国、その物まねをしている日本、これらの国々では社会主義特有の無責任が思いっきり露呈している。家族経営無責任が蔓延し、膿み腐っている。だか
ら、社会主義はだめなのだ。