下記記事に対して
=====================================
「長島です。

In article <koabe-298FE9.02085603062005@news01.sakura.ne.jp>,
ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp> wrote:

>>  元々この話は、私的コミュニティにおける特定のルール、またはそのコ
ミュ
>> ニティ内でのその構成員の行為が他の構成員にとって不利益となったとき、そ
>> れを「表現の自由」を論拠に否定できるか、というのが主題でしょう?
>
>ええっ? そうなんですか?

『
長島氏:たぶん、阿部さんの言いたいことが全然伝わっていないんだと思いま
す。
』

『
菅原:そんなことはないでしょう。
』

>いったん時間を置いて話を再開する時も、まずどういった
>局面での「表現の自由」について論じるのかはっきり
>させましょうと言ったのに、佐々木さんは議論を打ち切ろうと
>するし、困惑していました。

『
長島氏:佐々木さんがそういう態度を取った最大の理由は
「『表現の自由』が何を指すのか、まずはっきりさせよう」
という指摘に対して
「それは順序が逆だ」
という対応をしたからでしょう。

私だって、それこそ順序が逆でしょと思ったもん…。
』

『
菅原:というのは本質定義ですか。約束定義ですか?
本質定義は、仮象問題です。学術用語としての約束定義ですか?
表現は、表現です。一切の表現をさしています。
自由は自由です。一切の自由をさしています。
ただし、日常会話言語における常識に範囲で使用してくださいね。

殺人も表現だから表現の自由に殺人も含んでいるとか、強姦も表現の自由で表
現の自由に強姦も含んでいるとか、つまらない議論です。やってもいいです
が、通常、日常会話言語において表現の自由で殺人を想定することはありませ
ん。行為、運動、行動も表現では有りますが、表現の自由に、殺人や強姦とい
う物理的な暴力行為は社会通念として想定外でしょう。

もし、矛盾点が出てきたときにはそのときに判断する必要があります。
森羅万象、一転の曇り物なく、日常会話言語で意味論の分類をし尽くすことな
ど不可能。アリストテレスの形式論理学ではないのです。
記号論理学の話でもないのです。
言論は言論です。一切の言論をさしています。

本質定義ならあれこれくっつけることができますが、それでは仮象問題です。

言葉を言葉で説明することは、意味論の上からできません。これは事実です。
社会現象の一切を包含する事象に対して、法の適用が想定されるものであり、
法の適用範囲外の社会現象というのはない。これも事実です。逃げるなら別で
すが。

』



『
長島氏:以前にも
「まずルールとして『言論の自由を守ろう』と決めて、
 それから言論の自由の中身を検討すればいいのでは」
という主張をしていたような覚えがありましたが、
これまた「順序が逆でしょ」と批判されても仕方ないものです。
』

『
菅原:「言論の自由の中味」というのは、本質定義であり、これは学術用語で
はない。本質定義はものの本質を追求することですね、本質的な意味定義。
これは仮象問題です。100年やっても結論はでません。
この言葉はこういう意味で使いましょう、という約束定義なら可能です。
』

『
長島;
いずれにしても、このままじゃ
「中身よりラベル、メッセージよりパッケージ」って考えなのか?
と思われても仕方ないです。
』
『菅原;
言葉というラベルは日常会話言語の記号として使用できる範疇で使用する以外
ありませんね。記号論理学ではない。せいぜい分析哲学までです。
学術用語は約束定義であり、社会科学の学術用語は、日常会話言語とオーバー
ラップしていることが事実。この言葉の峻別を微細に切り分けなければ組み立
てられないという概念法学的構築過程に一気に飛び移るという究極の技術的場
を求めるのでは、現実の社会問題に対してそっぽを向くことになり、それでは
法の役目が果たせない。

表現の自由は、法学と報道では本質が同じか違うか、というのは仮象問題で
す。報道は社会の重要な要素であり、そこにある社会的使命は民主主義を成立
させる重要な要素であり、報道の自由なくして民主主義などありえない。大本
営発表しか報道しないのでは、ウォーターゲート事件など発生しない。法は報
道の自由を報道の視点で検証しなければならない。結論的に、報道の望む自由
を結論として出せるか、自由への制限が加味されるか、それは法の適用の結果
であって、報道の自由と法の自由の意味本質の違いという問題でない。
』


>いったん時間を置いて話を再開する時も、まずどういった
>局面での「表現の自由」について論じるのかはっきり
>させましょうと言ったのに、佐々木さんは議論を打ち切ろうと
>するし、困惑していました。

『
長島氏:という表現も、それが感じられます。

ただ、たぶん、阿部さんもそうは考えていないんじゃないかと思います。
(本当にそう考えているのであれば私も
「議論は無理」と判断せざるを得ない)

阿部さん自身が
「ラベルじゃなく中身」「パッケージじゃなくメッセージ」
を伝えるすべを考えたほうがいいのではないか、と思います。

たとえば「表現の自由」「言論の自由」を全く使わずに
自分の主張を組み立ててみる、とか…
(1度使うごとに1打罰とかね(笑))
』
『菅原;このようなたとえは三流です。』

」
==========================================
-----------------------------------------------
Yasuyuki Nagashima
yasu-n@horae.dti.ne.jp
-----------------------------------------------
****************************************************
Great Sugawara
私のポリシー:一切個人的にメールも物も発送しません。
****************************************************