"Seaside Hotel" <dreamboat48@air.ocn.ne.jp> wrote in message 
news:cgb880$5n5$1@news-wst.ocn.ad.jp...
>
> "Golden Cross" <pumpkin-soup@coral.ocn.ne.jp> wrote in message
> news:cg9e9a$6qc$1@news-est.ocn.ad.jp...
>>
>
>> >
>> > 日本がロシアやフランス・ドイツ・シナのように振舞えないのは、
>> > 必要以上の戦争への反省をしてしまい、萎縮してしまっているからでしょう。
>>
>> 確かにそうともいえますね。しかし私の見方はもう少し細かいです。
>>
>> すなわち、日本人は形式から入ってゆく国民です。今回の戦争で
>> 反省した事を伝えるには「形」つまり憲法上明らかな表現でそのこ
>> とをまず示さなければならない、こう考えたのでしょう。尚、日本国
>> 憲法は押し付けられた憲法ではありますが、日本人の気質的には
>> 「親しむモノ」であった事に注意。
>>
>> 問題は次から加速します。日本人は自ら建てた「形」をどう処理す
>> るかの段になると、特異な行動をとります。一旦「形式」を建てた以
>> 上、身も心もその形式に合わせなければならないと考えるのです。
>> ここには実質的な妥当性や合理性は後方に追いやられる。あたか
>> も、石=「形式」や木の根子=「形式」に精神を同化させるがごとき
>> に。そして、其れが強ければ強いほど「神のご加護」強まる、このよ
>> うに考える(西洋人はこれを妄想と言う)国民なのです。
>>
>> この様な国民性は自然と対話していればそれでよかった時代はと
>> もかく、西洋人というような野蛮な動物と共存しなければならない時
>> 代に突入したときにはその不都合さが顕在化する。
>>
>> 尚、中国人はシロンボたち以上の西洋人です。そして、遣随使以来
>> の長い付き合いがあるとか思っている日本人がいるが、それは「付
>> き合い」等と言えるものではない。あんなのはほんの鼻くそ程度の
>> 側面でしか奴らとは接しては来ていなかった。従って奴らのことな
>> ど何も分かっていない。日本の教育者は考えを改めなければならな
>> い。
>>
>> --
>> Golden Cross
>>
> 何故日本人は、形式に拘泥するのか?
> 端的にいうと日本人は感性に力点が置かれ、西洋人は理性に力点が置かれているから 
> 
> です。
> 理性と感性については何回も述べて来たから、少し
> は記憶されているかもしれません。
> しかし、これは何回繰り返しても良いと思うのです。
> 野球でも相撲でも基本は何百回も何千回も繰り返されますネ 理性と感性は基本中の 
> 
> 基本です。
>
> 理性には懐疑精神が含まれ,それは科学の根底に
> なっています。
>  Ⅰ)感性とは暖かな濃やかな心のことです。
>  Ⅱ)感性とは物事を直感的に全体的に本質的に
>    把握する力である。
>  Ⅲ)感性には信ずる心が含まれる。
>    感性に信ずる心が含まれることは分かり難い
>    かもしれないが、理性の逆であると考えれば
>    良く分かるかも知れません。
>  Ⅳ)信ずる心とは究極的には宗教に昇華される。
>
> 宗教とは形式を大事にします。それは何故か?
> 愚かな人々は物質的なものに目を奪われ、精神的
> 宗教的財産を簡単に蹂躙するからです。
>
> 弥勒菩薩の瑜伽(ゆが)論に曰く「東方に小国あり
> 其の中に唯の種姓のみ有り」
> これはどういう意味かと言いますと日本は大乗仏教
> 有縁の国であるということです。
>
> 結論して言えば、精神的、宗教的ものは愚人に
> 踏み躙られるから“形式”とか“儀式”が大切に
> 成ってくるのです。
>
> --
> Seaside Hotel
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