労働というものは、生産する作業という定義を見直すべきではないでしょう。

人間生きている限りは何かせずにはいられない。

それが、競馬や競輪のみでは、まっとうな労働とはいえない。
ヤクザのショバダイ取りのチンピラも全うな労働とはいえない。

生産性は低くても、その人間に出来る無理のない労働を新たに作ればよいだけ
の話。

これもモデルですので、捨象してお考えくださいね。
ハローワークに就職する人をメタ・ハローワークに休職に来た人で構成し、
ドロップアウトしないようにファローすることは可能なのですね。

こうしたセーフティネットは北欧の労働の考え方に近いと思いますね。

もう、マスプロ製品を作る時代ではないし、小作人の田畑もない。満州という
侵略地もない。我国は、高度な技術で一億の国民を養っていくなら、富の分割
仕組みと、労働のあり方を根本的に変更する以外ないではありませんか。