怒夢巣の<ca70f73e-0b08-4647-800f-098e5791b4ac@b9g2000prh.googlegroups.com>から
>On 4月12日, 午前11:23, 山之彼方 <yamano_anatano_sorato...@hotmail.co.jp>
>wrote:
>> 今回、日本共産党 志位さんが中国に送った書簡で、チベットは中国の一部と
>> いっているが・・・。
>>
>> ダライ・ラマが平和を求め、戦闘により混乱する道を提唱はしてはいないが、
>> どう見ても、チベットは、中国による、併合ではないか。+
>>
>> かつて日本が朝鮮を併合して、日本の一部といっていたのと同じだよ。
>
>それはどうかな。
>チベットは清朝の時代から清の属領だった筈だが。
>因みに当時のチベットは農奴制。
>今の亡命政権も、民主主義とは対極の政教一致の政権。
>
>だからと言って、私は中国共産党独裁政権を全面的に支持する立場では無いが、チベット問題は所詮中国の内政問題だと考える。

毛沢東の「チベット解放」という美名の武力侵略を支持されるのですか?

チベット約1500年続いた仏教文化。
中国ともインドとも異なる。チベット文化圏はチベット・ビルマ語系文化圏の
一地域として考えられるのが定説。

紀元7世紀以降の軍事的力を持ったチベット王室のインド大乗仏教導入は8世
紀。インド僧シャーンティラクシタと密教僧パドマサンババがチベット仏教の
伝播功労者。文化的にはインドが母体。

13世紀にサキャ派がモンゴルからチベットの総督に任命された。
1260年元のフビライが、サキャ派のパスパを帝師に任命した。
元がほろぶとサキャ派の勢力もおとろえ、カギュ派がチベットの支配権を握
る。
カギュ派はやがて氏族の援助をうける組織的教団へと成長。その中の最大の分
派がカルマ派。ここで座主の選考に活仏制度が導入された。

活仏制度は座主がなくなっても新しい肉体を得て次の座主に転生する思想。
カルマ派がダライ・ラマの学派であるゲルク派に政権をゆずる。
カルマ派の勢力は今日にいたるまでゲルク派につぐ力を持つ。
14紀末、チンハイ(青海)省アムドに生まれたツォンカパがゲルク派(黄帽派)を
開いてチベット仏教の改革をおこなう。

きびしい戒律、性的ヨーガの排除、精神的密教修行の提唱したゲルク派の本山
としてのガンデン寺の座主が1578年モンゴル王より「ダライ・ラマ」の称名を
おくられ、「ダライ」とはモンゴル語で海のこと。「ラマ」は目上、師。

17世紀のダライ・ラマ5世の時代にゲルク派がチベットを支配。
ゲルク派の神権政治は1959年のチベット動乱までつづいた。
現在のダライ・ラマは14世。

現在のチベット仏教徒の人口は350万人。北インドにもネパールにもブータ
ンにもモンゴル、青海省、四川省にも居住。

なんでこれで中国の一部でしょう。