競争社会は、脱落者を発生する社会ではない。より優れた遺伝子を生み出す進
化を追及する社会である。

競争社会に、脱落者がいるのは、その社会が原始的な未発達な社会だからだ。
進化した社会においては、競争社会に、落ちこぼれも、惨めな貧困も存在しえ
ない。

優れた能力は、劣った能力を駆逐するためにあるのではない。
劣った能力者を踏み台にして、より、裕福な暮らしをする社会が競走社会であ
るなら、それは、あまりに自然のおきてに反した社会だ。ライオンは、空腹を
満たしたらもはや殺戮はしない。だが、金はあくなき追求で無尽蔵に偏ってい
く。これは、もはや、人間のまっとうな社会でも自然の摂理でもない。

資本主義社会が、このような、ライオンがますます高速化する社会と化してい
るなら、われわれの資本主義は修正しなければならない。

共産主義社会が、中国や旧ソ連のように、警察国家であり、公安、党、軍の突
出したカースト社会で、一度発生したらもはやドラスチックな民主革命がない
限り崩壊しないことが歴然となった。
だが、
資本主義社会も、弱者貧困者を踏み台にした、強者の暴走を容認する社会であ
ることももはや歴然となった21世紀である。

われわれの資本主義も、われわれの民主主義も、根本的に間違っているところ
がある。
競争は、より進化した人間社会の遺伝子を生み出す手段であって、決して弱
者、貧困を生み出す競争であってはならない。オリンピックのレースにも似た
優れた能力を競う競争でなければ人間社会の競争としては失格である。
すべての人間を救済する理念が、民主主義に注入されなければ、もはや、地球
も人類社会も終焉に至る。