以前に機能しない教育委員会と記述した事がある。
 教育委員会2 に記述されている事は否定する余地が無いだろう。

 教育委員の任命者は地方公共団体の実質首長が行っている例が多く、その多くは選挙時の論功行賞となっていると言われても仕方が無いだろう。
 かつて、教育委員に教育経験者が居ない状況になりかかったので、校長経験者の人にお願いするようにした事がある。その方は教育委員会の実態を百も承知で、退職した後に今迄の経歴を汚したく無いと断られた。
 委員会に教職経験者が必要か否かは別としても、教育の現場を知らずして何が決められるのかは大きな疑問である。

 文部省官僚はエリ−トコ−スを歩いて来たから、保護されない者の悲哀や、無視された者の辛さが判らないのだろう。
 PTA制度は戦後GHQに拠ってもたらされ、父兄と教員の(今では保護者と言わなければ不適正用語らしい)話し合いの場とされたが、私の親の時代は確かに話し合いの場であった様子だが、私が父兄になった時代は学校が荒れており、教員として不適格な教師も多く見られ、教員の指導を行うべき管理者の校長は責任を問われて自殺する者までいた。
 又、教職員の退職を求めて、登校拒否を父兄会で決めた事も有った。当然教育長は父兄会の賛同が得られる人がなっていった。

 考えて見ると、教職が聖職と言われた時期の教員は父兄からも尊敬されていた。当然我々は先生が間違う事が有るとは思う事すらなかったし、常に信頼していた。
 我々の子供は教員は友達の感覚だった様だ。
 今はどうだろうか? 

 公立高校に進学すると先ず国立大学には進学出来ないと言われ、公立学校をあてにしなかった。若しその様な状況が続いているとしたら、大多数の者が進学する公立高校、中学を管轄する教育委員会等は全く機能していなかったと言える。
 教育の現場の実態を誰もが認識せずに、二十数年以上放置した事になり、教育基本法以前に公務員特別職規定等を見直す方が先だろう。

 あてにされる教員、学校は当分期待出来ないだろう。