民主主義の理念は
自由である。
自由を保障する政治制度が民主主義である。
では、自由とはいかなる土壌において担保されるのか。
自由は「自由」の土壌において担保される←これが、安倍、谷村らナチスのだ
まくらかしの思考混乱テクストなのである。自由がいかなるものか結局分から
なくさせてしまう作戦である。ナチスの常套手段である。

自由は、自由という言葉を1000万回並べ立てた看板が立った土地にあるのか?
断じてそんなところに自由はない。自由という立て看板を1000万個おったてて
も、看板の後ろに秘密警察が隠れており、密告者が隠れており、逮捕監禁拷問
獄門、君が代を歌わないやつを半殺しにする特高警察と憲兵が覗き見している
土地には、一切自由などないのだ。美しい日本などと1000000万本の立て看板
をおったてても、秘密警察が手ぐすね引いて拷問の用意をしている国のどこが
に安心できる「自由な国」があるというのだ。自由は自由という言葉を
100000000万回となえるファシストの口の動いている政治制度には、どこにも
ない。

自由は、「自由に思考すること」を保障する空気のある土地においてしか存在
しないのだ。

君が代を歌えと強制し、日の丸に最敬礼しろと強制し、「思考の自由」を手錠
で締め付けるような政治制度では、「自由に思考すること」が保障されない。
判断材料の情報公開を最大限に門戸を開き、国民が自由に思考することを保障
しなければ「自由」ではない。ファシズムである。ナチスである。

では、ファシズムと民主主義の決定的な少数意見に対するスタンスの違いはな
にか。
ファシズムは少数意見を少数意見のまま封じ込めるということだ。そのために
は情報を制限し、自由に思考することを制限し、さらに法律により「自由に思
考することを事実上禁止する」ということだ。君が代を歌わない自由を禁止
し、日の丸に最敬礼しない自由を禁止するということは、国民が自由に思考す
るということを禁止しているのであり、れっきとしたファシズム国家なのであ
る。ファシズム国家を支持する安部、谷村らはれっきとしたファシストなので
ある。ナチスだ。