まず、民主主義というのは共産主義ではないということだ。
日本民主主義も民主主義の精神には遠く及ばない。

民主主義にならなければならないというア・プリオリな理屈など何もないわい
な。宗教でもないかぎり。

民主主義も啓蒙思想も人類が苦しみのなかから血を流して築き上げてきた制御
装置だよ。自然人の思想なんてもとよりおらんわな。だが、このような理論
を築いて、絶対王政を倒す理論として使って事実絶対王政を倒したのだ。


人類にとって慣習や儀式と言うのは、ア.プリオリに備わっている種内攻撃抑
制の装置の代用だよ。祭りは人間の攻撃性をガス抜きする制度だし、お辞儀は
攻撃の意思なしのサイン。犬は強い犬への服従はひっくり返って腹を見せる。
こうして生物は種内攻撃を回避する儀式をア・プリオリに遺伝子に組み込んで
きた。

人類の進化というのは早すぎて、生体内部に種内攻撃抑制の装置が追いつかな
い。社会制度、慣習、そのようなものは、文化として、生体内の種内攻撃抑制
装置の代用として外部に発達させてきたものだ。反戦思想も、不戦思想もそう
だね。先の民主主義も、いわばそうした人類進化の外部に発達させてきた種内
攻撃抑制の装置と言える。その中でも、民主主義、啓蒙思想、近代市民法体系
というのは、国家による社会統制に対する市民の側からの国家への逆統制とし
ての装置として完成させた理論なわけだ。これが事実としての民主主義、啓蒙
思想の発達の歴史だ。国家の社会統制に対する市民の側からの逆統制と言う視
点、種内攻撃の装置としての文化と言う視点、それらで見たときのね。
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日本の戦前の軍国主義を見ても、あれは国家による社会統制に対して市民が
国家への逆社会統制の機能を持たなかったんだよ。これが事実としての社会シ
ステムの欠陥だった。国民は国家からの社会統制に翻弄されたね。
日本に西洋のような絶対王政はなかったがしかし、国家による社会統制は激し
かった。
中国、韓国にしても日本国により国民が受けた社会統制と同じく、民族として
の社会統制を受けたんだよ。民族としての日本国家への逆統制の機能はなかっ
た。だから、フェアじゃない。いくら指導してやったとか文化レベルを上げて
やったとかいっても、逆社会統制を与えない限り、人間は人間として満足でき
ない。これも事実だね。
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民主主義というのが、国家による市民への社会統制機能のみであれば、一方通
行だ。法規というのは、多数決の儀式であればよいというのではない。国家へ
の逆統制を禁止したり、極めて不利な逆統制にしたりするのは、人間を苦しめ
る。これも事実だ。歴史的事実だね。

問題は天皇が存在することで逆社会統制が機能しなかったら、これはだめだ。
天皇がいなくても、逆社会統制が利かなかったら、国民は抑圧に苦しむ。
共産主義思想の問題の大きな点は国民の国家への逆統制が利かないことだ。
それじゃ、共産主義でなければ、国家への逆統制が利くのかといえば、ファシ
ズムでは利かない。ファシズムとは、国民の国家への逆統制を封印するシステ
ムだからね。
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ところで、中国や韓国に国民の国家への逆統制があるだろうか。ない。極めて
抑圧されている。国家反逆罪、徴兵制、いろいろある。米国でも愛国法という
治安維持法が追加された。

民主主義を中国国民が採用しないばあい、かれらは、逆社会統制を持たないま
まの状態。これでは、ガスがたまるわな。民主主義を制度として採用し、か
つ、民主主義の精神をルールとして持てば、哲学的には価値相対主義だよ。多
用な意見、多用な価値観を封印しない。ましてや暴力で封殺などできない。こ
れが価値相対主義の実態だからね。
また、言論は無制限に表現を自由にしなければならない。罰するのは、行為で
あって言論はここでいう行為には分類しない。こうでなければ価値相対主義は
実現しない。

さらに、少数意見であっても、それが本当に市民にとり必要なものかどうか、
よく吟味しなければならない。利権に絡む議員が社会統制をすることもある。
だまして社会統制法を立法することもある。選出した議員が社会統制の最悪法
を作ることもある。少数意見にこそ十分な多数意見への攻撃の機会をあたえ、
さらに本当に民主主義を維持することのできる法律か、数に任せて逆統制を封
印し社会統制をがちがちにする法律かを見極めることが必要。ここには、少数
意見への十分な発言の機会と、立法が逆社会統制を封印するものではない、つ
まり民主主義を守り抜く精神がいる。
日本国民や議員にはこの精神が希薄もしくはない。この努力は社民にも共産に
も希薄もしくはない。つまり、日本に民主主義はない。

中国、朝鮮はもとより、日本人民も、人類がいかにして国家の社会統制に苦し
み、そこから脱出する逆社会統制の制度が必要なのかを理解していない。社会
科学の約束定義を、構築するには言葉、概念は、道具だよ、民主主義という逆
統制の社会制度を建築するための大工道具だ。不可欠だ。ことばの学術的約束
定義を持たなくて、社会科学など構築できるか。


golden crossさんの<d3t9v7$f55$1@news-est.ocn.ad.jp>から
>Great Sugawara wrote:
>> Great Sugawaraさんの<%a58e.63774$NC6.17815@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>から
>> 
>>>bitter anko Takadaさんの<d3qitm$g5c$1@nwall2.odn.ne.jp>から
>>>
>>>>もう支那から撤退するしかないでしょう。
>
>> にもかかわら
>> ず、価値が一致しないという意味での歴史認識の違いを理由に攻撃するなどと
>> 言うのは、韓国もそうだがもう、これは、民主主義国のすることではない。
>
>でもよー、ガス抜き君よー、君のいう見方が正しいとして言うけどよー、奴らは、
>      価値が一致しないという意味での歴史認識の違い
>      を理由に攻撃する
>
>方が都合がいいか利益になると思うからそういう行動に出ているんであって、奴
>らにしてみればそれが当たり前ではないのかね?それを、
>
>    (ガス抜き君の言う)民主主義国のすることではない
>
>とか言う事のほうが狂っていると思う。なぜか分かるかい?民主主義は何のため
>に唱えるのかね?民主主義は一種のイデオロギーであって、そこに自分に都合の
>いい価値を認めているからなんだ。自分の都合のいい価値を民主主義が反映しな
>いのならばそれに縛られるとする事のほうがおかしいわけだ。
>
>先に美名としての「民主主義」ということばを知って後でその中身を埋めた口
>か、先に利不利を検討する段階があって、自分たちに利益になるのならばそれを
>後で民主主義と言う名を冠するかの違いでしょう。言うまでもなく後者が正し
>い。これをガス抜き君がそれは民主主義ではないと言うのならば、やつらはわれ
>われはそんなものを民主主義とは言わない、と答えるだけだよね。
>
>ことばで教わった教養は捨てなければならない。奴らはそういう教養はないが、
>だからといって政治が出来ないわけではない。むしろ「ことば」の教養が邪魔を
>して日本人は賢い政治が出来ないようになってしまっている。「ことば」のみか
>ら入った学習は、それは決していけないとか言うものではないが、それならばも
>う一段階上の学習をしなければならないという事。それがあって始めて奴らとそ
>れ以上の勝負が出来る。考えても見たまえ。「ことば」から入る学習なんてなん
>と安易な事。安易さは程度が低い事を意味する。
>
>--
>Golden Cross
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Great Sugawara
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