日本人は、単一民族ではない。
寄せ集め。
天皇という求心性は民族的に求めていない。
何処の誰かが氏一族を率いて、地方領主のまま天皇をなのり名乗れば名前が先
行してあたかも統一国家の様相を呈しただけで、我が民族はおよそ、国民なき
国家である。

この民族に求心性を天皇、君が代で持たせるには、装置がいる。

強制、暴力という、ファシズムの装置が司法立法行政においてなければ従わな
い。よって、徹底的に自主性を摘み取り、考えない大衆のままにおいて、コン
トロールするファシズムの権力構造なくしてこの国の統一性はありあえない。

ところが、日本国憲法は、ファシズムなき、つまり、三権掌握なき統一国家の
道を保障した。ここで日本国民が立ち上がり、草むらにすごすごと引っ込むフ
ァシズム国民(非弾圧国民)を脱するチャンスを得たにもかかわらず、自らそ
の道を封印する方向に来ているのである。それも99%後がないところまで。

あらゆる批判こそが、政治を腐らせない。批判こそが政治を対流させ、酸素を
供給する大基本なのであるが、我国の政党は、批判を受ければ叩き潰す以外、
排除する以外、策をとらない。マスコミも、批判をしない。寄らば大樹の陰
で、権力に合体する。無批判のぬるま湯で、我国の政党は右も左も腐りきっ
た。マスコミも腐りきった。民主主義とは程遠い。

日本国憲法の光があったのに、またしても永遠の闇に我が国民は埋没するので
ある。ファシズムの銃口がけたたましく笑っている。