療養中で時間がありドイツパンも手に入るのでゲーテの『ヴィルヘルム・マイス
ターの修行時代』という小説を読んでみました。流麗な筆致で読みやすいのです
が登場人物が頻出して筋を追うのがやっとという小説でした。作中に神に触れて
いる箇所があり18世紀に生きたドイツ人が神と日常的に接しており対話も可能
なものとして描かれていることに感銘を受けました。

私も薪を取り水を汲み畑の作物を食べていた頃、自然は胸襟を開き鳥や魚や火や
風と心を通じあわせ人間社会ではなく自然に一員として受け入れられたという梵
我一如の境地に達した喜びは神の代替として人間が考え出した電子機器から得ら
れる情報からは決して得ることができません。そしてこのことが神の存在を黙示
しています。

しかし神の声が聞こえるというと精神病院に送られ焚き火をしようものなら焚き
火禁止条例でしょっぴかれるようでは道を求めることはできません。

神に見捨てられた現代人は死ぬまでくだらない情報に迷わされ続ける運命にある
ようです。

大城貴紀