書き下ろし。

「人の意見を聞かない」この台詞は誰が言ったか、とは無関係に一般に、法律を語る人は等
しく<反面教師?>とすべき事柄であるように思う。

「人の意見を聞かない」の台詞を吐く者はもちろん、「人の意見を聞け」と言いたいがため
に敢えて吐いているものであります。この場合、この者は名宛人にどうしろと言っているか
必ずしも不分明であるように思う。この者は自分が騙ることには異論を差し挟むことなく全
て分かりましたと思え、こう言っているのでありましょうか?もしそうだとすると、そもそ
も議論など想定することがおかしいわけで、議論から醸成される意義を認めない立場である。
それなら議論の場から退散する必要があろう。恐らくこの者は不特定多数の間での議論の中
から醸成される何がしかの意義に関心がるのではなく、ご自分の表層な法律暗記物をひけら
かし悦に浸ることを目論んでいるのであろう。

あるいは、この者はもっと実質的に、自分の見解は説得的であるゆえ、もっと熟考してみろ、
と促そうとしているのであろうか。もしそうであるならば、このような姿勢は好感を持って
迎えられて良いと思う。すなわち、先輩とか理解に絶対の自信を持っている者とかがアドバ
イスし指導すると言う性質を持つ行為はある向きにとってはしばしば有意義な場合が有るか
らであります。しかし、一旦意見の相違をみるや、途端にその思惑は意味をなさなかったも
のと考えなければ成らない。もし、そうで無かったならば「先輩」であること、本人が「絶
対の自信を持っていること」が客観的にも「絶対」を意味することになる。神でもないのに
このようなことはありえない。そもそも他人にとって説得的であるか否かを当人がコントロ
ール出来よう筈が無く、他人の胸三寸の中に有る。

以上はより一層法を語る場合に当て嵌るであろう。法は正義が支配するとも言われたり公平
性が支配するとも言われたりもする。これは他の何人をも偶像視したり、絶対視してはなら
ず、ただ法の声のみに支配さるべきであることを言っているものであろう。トーンを下げれ
ば、事柄の正当性と説得性にのみ支配さるべきだと言うのと同視できるものであります。

こう見てくると、軽々白々にしかも一般に「人の意見を聞かない」と言うようなことは現に
慎むべきことであり、仮に偶々その事跡が見られた場合には正面から議論に於いてそのこと
を指摘することが正しいのであります。その指摘も出来ずに、当該議論から去った数年後に
記憶か漠然とした機を選んで、しかも具体的事実を指摘することも無く、<感想語>を投げ
るだけ、と言うような行為は卑怯者且つ女々しい者のやることではありますまいか。

思いますに、相手の見解を凝視し、主要な意見を逐一取り上げそれに対して反論していると
すれば、決して議論に於いて「人の意見を聞かない」のではなく、むしろ「聞き過ぎ」であ
ります。この、「聞き過ぎ」については人によって且つ見方によっては善悪両評価を下す場
合もあろうが、少なくとも「議論をする」と言う観点から見た時には「議論における誠実さ」
を意味する。

佐々木氏の「人の意見を聞かない」に対しては事実を摘示することはしません。関心のある
方にはGoogleによる検索から日時と対応内容を比較して頂ければと思います。一目瞭然!


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KENTAROU