Re: 自由主義・法治主義の観点から見た 靖国神社公式参拝
"Lionsboy" <lionsboy@jcom.home.ne.jp> wrote in message news:<sZxIa.1525$Fk4.199167@news1.rdc1.ky.home.ne.jp>...
日本における民主主義の捉え方に関してはあなたの気がかりはある種正しいものが有る
という立場で幾つか質問させていただきます。
> 民主主義思想の根拠となっている、自然法思想は、キリスト教思想を前提として成り
> 立っている。
> つまり、生まれながらに持っている、天(言い換えれば神)から与えられた人権=天
> 賦人権、というような考え方である。
> 歴史的事実としては、このようなことはありえない。実際には「人権」というような
> ものは、歴史のなかで、人々の活動、戦いのなかで生成、獲得されたものであって、
> 「天から与えられた」ものなどではないからである。
まず、以上のところの捉え方に疑問あり。確かに現実には人権は歴史の過程で戦いによ
って獲得されたものであります。しかし、獲得しようとしたその人権は何ゆえに獲得可
能なものであるかの説明ができなければなりません。その理論的根拠を与えるのが天賦
人権思想なのです。ですから、「天からもたらされた」事と「歴史の過程で戦うことに
よってもたらされた」ことを対比して考えてはいけません。完全に共存可能な考えなの
です。
> つまり民主主義思想は原理の部分でキリスト教の上に乗っており、したがってキリス
> ト教世界が近代民主主義思想の誕生の舞台となったのはその意味で当然である。
そのとおりだと思います。
> 明治の日本では、天賦人権論などが、民権運動家らによって紹介されたりしていた
> が、日本人がそれを真の意味で理解したかどうかは疑わしい。
> 「天賦の人権」などという考え方は、「民主主義」と言われる今日の日本人にとって
> も理解しがたい思想ではないだろうか。
ぼくもそんな気がしています。そんな気がしている人々は今日ではかなりの数に上るの
ではないかと思われます。現在ではむしろ「日本人にとっては理解しがたい」とされる
事の具体的な内容と理由をつまびらかにすることが必要なのではないか。この西洋人と
日本人の哲学的思想や価値観の違いを明らかにすることがあっての提言であればあなた
の着眼点はいっそう生きてくるものと思われます。
> そういうことから見ても、今日の日本の政治体制は一応「民主主義」に分類されるも
> のとなってはいるが、その根幹の部分において、あいまいさを
> もった「民主主義」であると思う。要するに、欧米の形式を真似て見かけだけの「民
> 主主義」は成り立っているが、根本にある自然法思想は日本人の思想ないしものの考
> え方になじんでおらず、日本の「民主主義」はかなり形式主義的なものなのだと思わ
> れる。
いきなり「そういうことから見ても」としてしまうのでは「理不尽」です。これでは単
に日本人はキリスト教精神を生活の支柱にしていないからという一事でもってその精神
の一部に過ぎないかもしれない天賦人権思想が分かる筈がないものとしてしまうのと同
じ事になります。もう少し詳しく語る必要がありそうです。
ぼくは一点だけ付け加えたいと思う。日本人はキリスト教をその精神的支柱にはしてい
ないからといって100パーセント天賦人権思想が理解できないものとは思いません。
けれどもどうしても欠如してしまう部分があり、その一つは次のような点であろうと思
われます。
神が生まれながらにして与えた人権は決して人間の「社会」に与えたものではなく人間
一人一人の「個人」に与えたものであるという点です。西洋における神との対話は人間
集団と神との対話ではない、人間個人と神との対話である、この感覚には日本人はかな
りなじみが薄いのではないでしょうか。従いまして、日本人でも、理論的にも感覚敵意
も「前国家的な権利=資格」であるとは容易に学習によって獲得できる性質のものであ
ると考えます。
> 「民主主義」というと単に多数決の原理くらいに思っている国会議員が大半なのでは
> ないだろうか。多数で決定しさえすれば、その内容が、人権無視なものであったとし
> ても平気なのではないだろうか。
> 「多数の決定だから従え! 日本は民主主義だ! 多数の決定に従わないものは民主
> 主義に反する!」というわけである。
かなりきわどい話になりますが、一見するとあなたの考えは天賦人権が認められること
がすなわち民主主義であり、神は民主主義自体をも人間社会にもたらしたといわんばか
りに聞こえます。ぼくはそうではないだろうと思います。天賦人権思想は人権を個々人
に与えはしたが、その実現の仕方として民主主義の方法が最もそれを国民に反映しやす
いものとして神とは無関係に人間の知恵(人知に過ぎない)が方法としての民主主義を
採用したと考えるのが正しいのです。
あなたのような考えは厳しく言えば大雑把過ぎるし感情的になりやすく、人権の名の下
個人の横暴を許すことにもなり現今の日本の悪弊をいっそう誘うことにも成りはすまい
か。したがって民主主義の概念は国民主権主義の下では多数決主義あるいはそれに類す
る程度のものと考えて十分なのです。民主主義概念に数多くの複雑な内容を盛り込みし
かも強力であたかも黄門様の印籠のように考えることは単なる人知のなせる業ではない。
あなたの懸念するように多数決を経さえすれば何でも許されるとするのを回避する方法
は民主主義を史上のもの最高価値の概念とする「呪縛」から解き放たれることでありま
す。因みに民主主義的な考えはギリシャ哲学に於いては悪であったし少なくともたいし
た価値実現形態ではなかったのです。
そこで我々が取るべき実践的な行動の一つはは政治的には時に民主主義を<衆愚主義>
として排除する運動であり法制度的には違憲立法審査権等の勇気有る発動を促すことな
のです。
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KENTAROU
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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