如何なる時代も攻撃の有効性を高めるには、相手が防御に回る隙を与えずに攻撃するのが、戦術の常道となっている。
 問題は攻撃の後の対応である。
 人間が人間であるが故に、完璧に相手を破壊した事例は少ない。完全に相手を抹消出来なければ攻撃すべきでは無いとの考え方も成り立つ。
 卑近の戦争で見れば、真珠湾攻撃の後に米本土迄の兵站能力、工業力から攻撃を継続することすら検討出来なかった。
 陸上戦に於いては、必ず相手国の国民をも対象として抹殺する意志が無ければ占領は一時的なものに終わる。
 この事は対中戦争、ベトナム戦争、そして今のイラクにも言える。
 民族としての団結、継戦能力は単純にその国の工業力、軍備で想定出来るものでは無い。即ち生きている限り親の仇を討つとすれば、その民族の総てが地球上から一人も存在しなくなるまで攻撃しなければならず、例え停戦しても形を変えて攻撃の対象となる。
 どちらが良いか悪いかでは無く、肉親、親族を失った者としては当然の感情と思う。 

 
 パレスチナが安定しないのは単に宗教の相違に止まらない殺戮の連鎖にあるからと思う。イラクの安定はイラクが三分割された時に完成するか、強圧的な統制が完成した時に一時的に完了する。クルド人の歴史は抑圧の歴史であり、宗派の違いは我々の想像を超える。
 IRA,についてもイギリスは一時的に落ち着いている様子だが、火種はくすぶっている。

 唯一宗教感が希薄で、お上の命令に従順な日本が安定しているかに見える。
 向き合う時は笑顔で、振り返れば鬼の顔が西欧である。
 
 最近、少しずつ武力で決着は付けられないとの考え方が芽生えている事が多少の救いかも知れない。
 多分、現在では相手国の国民を抹殺することは不可能と気がついたのかも知れない。