> 裁判官「科学者は間違わない」
> 
> 現在の科学レベルで危険が証明されなければ、安全。これが安全の証明とい
> う。安全の証明ができなくても、危険の証明ができなければそれが安全の証明
> だ。これが、今回の裁判官の判断。
> 
> アリストテレスのファシズム論理学が、国家に癒着した裁判官により、国民弾
> 圧に利用されている典型。
> 
> 科学は、間違うのである。

 数学により全ての「科学は、仮説である」ことが証明されてしまっています。
小室直樹著。数学を使わない数学の講義。ワック出版。
読んでみてください。とても役に立ちます。


> 人間は、間違うのである。
> 裁判官は、間違うのである。
> システムは、間違うのである。
> 物は、壊れるのである。
> 飛行機は、墜落するのである。
> 電車は、脱線するのである。
> 
> いったん放射能汚染が間違って起こったとき、不測の事態が起こったとき、現
> 在の科学で予想できなかったものは、仕方がないからあきらめて死ね。
> 
> これが日本の裁判のレベルなのである。

そのとおり。法条解釈や判例解釈のみしているレベルでは、その程度でしょう。
裁判官を信用してはいけません。国民は、すべての判決に対し自分の意見を持た
なければ
いけない。

> 
> 核兵器製造を視野にいれ、核兵器配備を視野にいれ、核兵器運搬を視野にい
> れ、核実験を視野にいれ、国家による国民統制が、司法にレベルにおいてなさ
> れたと見るべきである。

 太平洋戦争時東大法学部部長南原繁が死にいく学徒を救えなかったことを敗戦
になってから
、反省している。当時創価教育学会会長(後の創価学会)牧口常三郎は戦争反対
し
牢獄に入れられ獄死している。南原はのちにいい講演をいっぱい行ったが所詮わ
が身かわいい、
殺されるかもしれないことに打ち勝てなかった男にすぎない。敗戦後東大学長に
なっても
いいこといっぱい発言しても、所詮命をかけることのできない男に過ぎない。ひ
きょうもの。
法条解釈、判例解釈ばかりしていると、こういう頭でっかちになり、理論家でし
かなく、実践者で
なくなるのです。
 わたしは、法曹にならなくてよかった。法曹人になることも運命なんでしょう
ね。きっと。
彼らは、実践者でないがゆえに、醍醐味を舐めたことが無い。せいぜい、乳味、
酪味、生酥味、熟酥味を
感じて生きているていどでしょう。人生の醍醐の味を知らない。
南原繁は、人生の醍醐の味を知らない。
法条解釈、判例解釈ばかりしている人は、人生の醍醐の味を知らない
。
まつむら