"Sawaki, Takayuki" wrote:

>  「大正テレビ寄席」がわかりません。

当時はこの後番組だか後々番組が「家族そろって歌合戦」だったと思う。
公開放送の会場がどこぞの演芸場でして
ゲストが用意した何か変なものを会場でオークションして
売り上げをどこぞに寄付するという趣向の番組です。

> > チーム5人で紅一点ってあの頃からもう伝統なんですよね。

桜井浩子が2回ほど登場していたからウルトラマン放映終了後の番組
(あるいはそれ以前からなのかも)だったということは言える。
#どうしてウルトラQではないかというと「私の彼はウルトラマン」
#と金原二郎に紹介されて登場していたから。

>  こっちも好きでした。でもどっちもPTAに「低俗下劣番組」の烙印を押されて
> ましたね。

雑誌「暮しの手帖」は当時、ゲバゲバ90分やハレンチ学園については
なにも語っていませんでしたがコント55号の公開野球拳についてだけは
否定的な論調でした。曰く「女性をバカにしている。」
#そういう雑誌なんですってば。
ところで、仮想敵裏番組ってなんなんでしたっけ?
当時はいたいけだったためだれかが一枚ずつ衣服を脱ぐのを見て
ハァハァ興奮する性向がなかったというのを今になって実感しますね。

> > >  ちなみに私にとってのドリフは「チョットだけよ」が
> > > ピークです。

週刊少年ジャンプで30年以上前に「8時だよ!全員集合」を紹介する
ような(あるいは番組の人気に便乗しているだけだったのか)がありました。
その後「ヤング・オー・オー」のページが後釜に座ったかな。

>  「全員集合」は見ていないんで……何せ、故郷では放送されていなかったから。

わたしはチャンネル権争奪に負けて「刑事コロンボ」を前半2/3カットして
見ていました。
他にはチャンネル権を弟に握られて初代or二代目「仮面ライダー」の頃
「海のトリトン」を白黒テレビで見ていたとかいうのもあった。

> > シャボン玉ホリデーまだやってましたっけ、当時?
> 
>  うーん、どうだろ?もう終わっていたんじゃないですかね?

http://www.8107.net/cats/shabon_towa.html
によると

>>>>>    昭和36年(1961)6月4日「レッツゴー ピーナッツ」をスタートに、
>>>>>    昭和47年(1972)10月1日「サヨナラシャボン玉!!」まで591回

らしいので番組放映が同時期だった時期があるのではないかとも思うの
ですが肝心の「チョットダケヨ」の時期が思い出せない。

>  クレイジーキャッツがメインのテレビ番組って、ほかに何があったかな?
> 映画は数多いけど……5分くらいのニュース仕立てのコント番組があったような気も
> するけど、番組名が思い出せない。

そのあたりの詳細はぜんぜんわからないです。
シブく決めた劇場版映画『会社物語』が全員登場の最後の作品かなあ。
正月番組のかくし芸大会は東西別れて出てくるから全員登場というのが
あったとしてもそういう風に思えなくて。
-- 
mailto:shibuya@dd.iij4u.or.jp           渋谷伸浩