Path: ccsf.homeunix.org!ccsf.homeunix.org!news1.wakwak.com!nf1.xephion.ne.jp!onion.ish.org!news.daionet.gr.jp!news.yamada.gr.jp!newsfeed.media.kyoto-u.ac.jp!newsfeed.mesh.ad.jp!news-sv.sinet!news.spring8.or.jp!not-for-mail From: Masahiko_KODERA Newsgroups: fj.rec.rail,fj.rec.rail.historical Subject: Re: =?iso-2022-jp?B?GyRCREwyYU8iTW0xP00iGyhC?= (Re: =?iso-2022-jp?B?GyRCSXBCIkNmODYbKEItGyRCQmc6aiRORTRGOzdQTyk4ITp3GyhC?=) Date: Mon, 02 Aug 2004 13:01:23 +0900 Organization: SPring-8 Lines: 49 Message-ID: <410DBC93.20713980@sp8sun.spring8.or.jp> References: <40FD5443.258219EE@dd.iij4u.or.jp> <40FDC65B.FDF3B1B4@dd.iij4u.or.jp> <40FFBD29.6447EF9D@nifty.com> <40FFCE1A.6F70FBC9@dd.iij4u.or.jp> <41012590.62D192BC@nifty.com> <41013B94.A8843A8B@dd.iij4u.or.jp> <87smbhbna0.fsf_-_@tsubame.p.chujo.org> <4108ED36.5B9A371F@sp8sun.spring8.or.jp> <87oelxiruu.fsf@tsubame.p.chujo.org> NNTP-Posting-Host: remus.spring8.or.jp Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: news.spring8.or.jp 1091419283 44270 (2 Aug 2004 04:01:23 GMT) X-Complaints-To: usenet@spring8.or.jp NNTP-Posting-Date: Mon, 2 Aug 2004 04:01:23 +0000 (UTC) X-Mailer: Mozilla 4.79 [Kondara-ja] (X11; U; Linux 2.4.18-12ksmp i686) X-Accept-Language: ja, en Xref: ccsf.homeunix.org fj.rec.rail:2010 fj.rec.rail.historical:24 古寺です。 "中条 恭" さんwrote: > > Masahiko_KODERA writes: > > 横浜線の沿 > > 線が東京のベッドタウンとしても発展し、接続私鉄を介して南武線と > > 同じような通勤形態が一般化したと認識されるようになった時期の違い > > とかも有るのかも知れません。 > > 「時期の違い」で思いつきましたが、買収の時期も違いますね。南武線 > は戦時買収だけど、横浜線はもっと前に買収されていたはずです。 そうです。南武は完全に電鉄としての体を為していたようですが、横浜線 は蒸気動力のまま早々に買収されていますよね。高度成長期にも中山あた りで複線化が延々停滞していた事が分かる年表が複数見つかりましたけど、 買収時期も載っていたかと。 > > です。横浜線が急発展して完成域に達したと思える時期との関係も有っ > > て。菊名...主旨的に不要、長津田...速達系列車が走り出すのがずっ > > と後年の田園都市線到達した時点で、横浜線側もかなりローカル、 なんのこっちゃ。田園都市線に速達系列車が走り出す方を問題にしていた と思うのですけど(_o_) > > 立川から入ってくると、府中本町 > > では南武→武蔵野(南)のわたりというのは無いのでしたっけ? > > あります。これがないと中央線方面から新鶴見に出るのが大変になって > しまいます。 立川から南武に入れるから、西国分寺のところは一方向きのジャンクショ ンだったりしましたっけ? となると、石灰石関係は浜川崎方向へ抜けるた めに新鶴見を介する必要もなく、ずっと南武経由で残ったのかな? > もちろん、幹線ほどの線内発着はなかっただろうと思いますが、ローカ > ル線くらいの貨物の需要はあったんじゃないかと思います。ほとんど貨 > 物列車がなくなってしまった頃でも、貨物ホームの近くに農業倉庫があっ その手は南武より多かったかも知れませんね。旅客列車を凌駕する本数云々 という話から、アタマが本数を稼げる方へ向いていました。自線内の「解結」 となるとなおさら、1日1〜2往復以上設定しようがないと思われるのです。 直行系の物資輸送やヤード間の拠点間列車と異なり、2軸貨車が1〜数両、 ヤードから到着し(貨車用ホームが1〜2両あるような、かつてのありふれた 駅では、到着も発送も無い日も多かったかと)、積み降ろしをやって再び ヤードに送り返すような末端の輸送では。各駅で貨車を繋ぎ替えながら1日 掛けてヤードへ戻るようなのが解結といわれる貨物なので、こういうのは ほとんど本数には影響しません。